“進取の気性”のある幕内院長は、国立がんセンターでの肝がん手術を軌道に乗せるや、信州大学へ――。

「信州大学ではチームをつくって生体肝移植をやりたかったのです。チームワークで行う外科の最たるものが生体肝移植。とにかく人手が必要です」

文献にあたり、動物実験も繰り返していた89年11月13日、島根医科大学が日本の初例となる生体肝移植に成功。90年6月15日に京大が続き、同月19日、幕内院長のグループが第3例目を成功させた。

「私自身、肝移植の経験があったわけではないので、ただ無我夢中で行いました。幸いなことに、私の第1例の患者さんは今も元気で、日本の最長生存例となっています」

ここには外科手術の大きな変化がある。肝臓の手術も含め、それまでの手術は1人の中核となる外科医がすぐれているか否かで結果が違ってきた。ところが、生体肝移植が始まったこともあり、外科医療の中心である手術に初めてチーム医療が芽生え始めた。

「レシピエントとドナーの2人を1人で手術するわけにはいきません。2つの外科チームがうまくチームワークをとらないといい成績は出せません」

信州大、東大、そして、日赤医療センターに移ってからも、生体肝移植を初めてスタートさせた。

2010年8月30日には日赤での生体肝移植14例目が成功した。約42時間、2日がかりの大手術だった。

「私はレシピエントを担当しました」

レシピエントは俳優の安岡力也さん、ドナーは長男で付き人の力斗さん。

手術中、室内には石川さゆりの曲が流れていた。

「ひたすらジッと耐えて手術を行っていくことで結果がよくなるのです。クラシックやポップスをかける人もいるが、私は演歌の世界なのです。CD一本終わると約1時間。手術時間もわかります」

耐えて耐えて1人の患者から最高185個の肝がんを取り除いたこともある。

その名医・幕内院長が最後に外科での“名医の条件”を披露した。

「第一は、とにかく手術がうまい! そのためには基礎訓練ができている必要があります。そして、第二は術前術後の管理ができていることです」

これをきちっと行うと“365日、24時間、医師”となる。

「生体肝移植は特にそうです。移植医は365日医師で歩まないと、移植の成績にはっきり出てきます」

結果が生死となって出てくるのだ。

※すべて雑誌掲載当時

(撮影=尾崎三朗)