かつては、疫病の流行後に「格差の是正」が行われていた

戦争、革命、疫病など、既存の社会の大崩壊を招く歴史的大惨事のあとには、人間社会において広く「富の平等化」に向けた合意形成がとられる――スタンフォード大学教授で歴史学者のウォルター・シャイデルは、世界的ベストセラーとなった著書『暴力と不平等の人類史』でそのように説明した。

「経済的平等(富の不平等の是正)」は、平時ではほとんど達成されず、戦争や革命や疫病の大流行など、大規模な秩序破壊の後になってようやく開始されるという、きわめて不都合な真実を取りまとめた大著である。たしかに、歴史に鑑みるとシャイデルが指摘するように、社会の大きな動揺と崩壊を「生き延びた」人びと(とくに庶民たち)は、ごく一部の富裕層に対して富の再分配についての強い交渉力を発揮していたことが明らかになっている。

多くの人命が失われた厄災のあと、文字どおりもっとも多くの「血」を流した一般階層の人びとが、特権的な立場で「血」を流さずに済んだ特権階層の人びとに対して「お前たち金持ちは血を流さなくて済んだのだから、せめて金くらいは支払え。それが筋だろう」と大合唱したのだ。

命を引き換えに交渉のテーブルに座る怒れる庶民たちの目の前では、さすがの富裕層たちも金を出さないわけにはいかなかった。これまた世界的ベストセラーである『金持ち課税』の著者であるケネス・シーヴも、シャイデルと同様、多くの人びとが命を落とす戦争など「大規模動員」の直後にしか富裕層への課税強化は政治的に合意されないことを、世界中の財政記録を調査することで突き止めた。

「世界の大富豪26人の富」=「下位38億人の総資産」

しかしながら、一般市民が強制的に徴用され戦線に投じられるような大規模戦争、あるいは社会の秩序を根本から覆す革命が過去の遺物となってしまった現代社会には、富裕層に対する「交渉力」が市民からはもはや失われてしまった。

国際NGO「オックスファム」が2019年に出した報告書(※3)によれば、世界の大富豪わずか26人が持つ富の合計は、この世界の下位38億人の総資産と等しいまでになっていて、その格差はひたすら増大を続けている。ちなみに同報告書では、大富豪の上位1%があとわずか0.5%だけ多くの税金を支払うだけで、教育を受けられない2億6200万人に教育の機会を提供し、医療を必要しながらもそれが十分に受けられないため命を脅かされている330万の人びとに適切な医療を提供することができるとの指摘もある。

(※3)OXFAM International「Billionaire fortunes grew by $2.5 billion a day last year as poorest saw their wealth fall」(2019年1月21日)

かりに、国際的な協調のもとで世界中の国々が富裕層課税を同時に実施するような政策がなされたとしても、富裕層たちはカリブ海に浮かぶどこかの島国に財産を逃がしてしまうし、それを調べようとする厄介者は自動車爆弾で吹き飛ばされてしまうのである(※4)。世界各国の市民たちは、国際的ビリオネアたちの富の独占を抑止・是正するための論理を20世紀の終焉とともにほとんど失ってしまったのだ。

(※4)朝日新聞『パナマ文書報道の記者、車爆弾で殺害か 首相は捜査約束』(2017年10月17日)