具体的に計算すると、今のGDPを60年もキープするには、毎年1.29%ずつ生産性を向上させ続けていく必要があります。けっして簡単ではない挑戦ですが、他の選択肢はありません。そのことから目を背けて「生産性を無理に高めなくていい」と言う人は、日本が破綻してもいい、未来の子どもたちに地獄を味わわせてもいいと主張していることと同じだということに早く気づくべきです。

じつは日本も生産性が上がっています。ただし、その主な要因は労働生産性が高まったことではない点に注意が必要です。

たとえ労働者1人が生み出す付加価値が変わらなくても、労働参加率が高まって働く人が増えれば、国としての生産性は高まります。これまで付加価値を生まなかった人が付加価値を生むようになるので、生産性は底上げされるのです。仮に労働者1人が1000万円の付加価値を生むとします。国民の50%が働いていたら、国の生産性は500万円です。労働参加率が60%になれば、一人一人の働きは変わらなくても、国の生産性は600万円になる。アベノミクスで生産性が向上していたのも、女性や高齢者の労働参加率が高まり、就業者数が増えたからです。

しかし、すでに多くの女性や高齢者が働いており、労働参加率は頭打ちになりつつあります。政府は年金支給の開始年齢を引き上げて高齢者の労働参加を促す思惑でしょう。ただ、80歳や90歳の高齢者に働いてもらっても、さすがに現役世代と同じ付加価値は生み出せません。労働参加率を高めて生産性を向上させる戦略は、そろそろ限界を迎えます。

労働参加率が限界なら、次は労働者1人が生み出す付加価値、つまり労働生産性を改善するほかないでしょう。

先ほどの例で言えば、例えば、労働者1人当たり1000万円の付加価値を生んでいたところを、1100万円、1200万円と増やしていくのです。

繰り返しになりますが、その鍵を握るのは、日本の企業の圧倒的多数を占める中小企業の存在なのです。

アフターコロナで“お荷物”になるな

規模の問題を考慮せずに、中小企業の労働生産性を高めようとする試みにあまり意味はないと私は考えています。中小企業は、小さいこと自体が問題。ですから、中小企業を成長させたり再編したりして、器を大きくすることをまず考えるべきです。

それができない中小企業は、どうすべきか。誤解を恐れずに言うと、消えてもらうしかありません。