現代のように次から次へと時代の文法が変わり、新しい局面に出合う状況では、脳の「免疫系」が働きすぎると、これまでの自分を守ろうとするあまり流れにすっかり取り残されてしまう。

海外への留学を含めた国際化の必要性

例えば、教育のことを考えてみよう。ここ数年は、日本の学校のガラパゴス化が指摘され、海外への留学を含めた国際化の必要性が叫ばれていた。もっと英語を身につけて、グローバルな視点でものを考えなければいけないと多くの識者が指摘していた。

ところが、移動が難しくなって、大学などの教育機関もリモート授業に切り替えるようになってきて、すっかり様相が変化してしまった。そもそも、留学していても、キャンパスに行けない。リモート授業ならば、わざわざ国外に移動する必要もない。結局、どこにいても、学ぶことは同じである。

世界的なパンデミックによるグローバル化の見直しという時代の変化によって、ここ数年の教育のグローバル化という流れに調整が必要になってきた。もちろん、英語が重要なことには変わりがないけれども、ただ単に留学すればいいということでもない。

激動の時代には「本質」を見抜く力が必要になる。物理的に海外に行けば国際化だという表面的な理解を超えて、いかにこの時代に必要な知識やスキルを見据え、それを獲得するか。古い考え方にとらわれていては、新しい輝く自分に変化できない。

脳の「免疫系」の作用と、その緩め方も複雑化している。少し前までは「ガラパゴス」な自分を打破せよと言われていたのが、今度はそのような単純な「グローバル化」のかけ声自体が時代遅れになりつつある。

持続可能なかたちで守っていくべき「自分」と、新しいものを取り入れ、変わるべき「自分」の配合を、「ポートフォリオ」の中でバランスをとっていくこと。繊細で時に大胆な「自分運営」が必要な時代になってきた。

脳の「免疫系」の過度な警戒を緩めるのに最適なのは、「好奇心」。興味を持つ対象に、自分らしさが反映される。新しいものに夢中になることで、大切なものを守りつつ、次第に自分を変えていくことができるのである。

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