このような意味での「加速主義」は一部の人にとっては魅力的な考え方かもしれないが、弊害も予想される。何よりも、矛盾や問題を突き詰めてしまうという点において、「ハードランディング」の被害が出ないとも限らない。

そこで、前向きに検討したいのがもうひとつの「加速主義」である。

すなわち、時代の変化や技術の進歩によってやがては来るだろうと予想される社会のあり方を、先取りして実現してしまう。起こるであろうことを積極的に起こしてしまう。そのような、あくまでもポジティブな「加速主義」を考えたいのである。

これまで気づかなかった在宅勤務のメリット

例えば、今回の事態で、在宅勤務、テレワークが拡大している。会議も、「ズーム」などのアプリ、ネット上のサイトを使って遠隔で済ますということが多くなっている。

従来、働き方の多様化やワークライフバランスという視点から、テレワークのような新しい仕事のあり方は推進が求められてきた。しかし、実際には変化は遅々として進まなかった。

新型コロナウイルスの感染防止という止むに止まれぬ時代の要請で、今まで進まなかった変化が一挙に進んでいる。そのことで、これまで気づかなかった在宅勤務のメリットや、必要な工夫に多くの人が目覚め始めている。

人間の脳は、抽象的な可能性としてはわかっていても、現実のものとして体験しないとなかなか身体性の面で腑に落ちないものである。体で納得しないと、社会に浸透しない。その意味で、今回の危機は、新しい働き方が日本に広まるきっかけになるだろう。

教育においても、休校が続く中、オンライン授業やデジタル教材の共有、先生と生徒、生徒同士の議論や共同作業など、新しい学び方が一気に広がっている。

100年に1度の感染症の危機で、やがては訪れるだろうと言われてきた変化が加速して起こる。このような「加速主義」は歓迎したい。

時間の動きを早めることで、ピンチをチャンスに変える。危機をできるだけ前向きに乗り越えたいものだ。

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