現実歪曲空間だけではディスラプションは起きない

しかし、私が強調したいのは、現実歪曲空間だけではディスラプションは絶対に起きないという点です。たしかに彼はプレゼンの達人であり、いまや彼のプレゼンスタイルは世界中の企業で模倣されています。しかし、プレゼンで人の心をつかんだところで、実行がまったく伴わなかったらただの詐欺師です。

ディスラプションは、描いたビジョンと戦略を実行に移し、有機的に発展させることで初めて完結するものです。壮大なビジョンを信じ込ませるのは非常に重要なことですし、スティーブの強みでもありました。ただ、スティーブが「プレゼンの人」だと思ったら、とんでもない間違いです。一見、大ボラに聞こえるような壮大なビジョンを自信満々に語る一方で、裏では大ボラを実現するための努力を、全身全霊をかけて続けたのです。

ジョブズを突き動かした“妄想”

ディスラプターとしての彼を突き動かすものを的確に表現する言葉は「オブセッション」だと、私は感じています。スティーブとアップルを突き動かしたオブセッションはロジックを超えていて、いたるところで混乱・反発・拒絶を引き起こしました。そのような状況の中でThink differentの哲学が、まずは禅のように無私の心を持つ人たちに染みて、徐々に周りの人々に染み渡っていきました。Think differentの境地には、収益や利益率のKPIはありません。

スティーブは「最高の創造」と「シンプルの追求」にオブセッションを抱いていました。その結果、iPhoneのホームボタンを含め、さまざまな製品のボタンは1つになり、ユーザを操作の複雑さから守り、革新的な使い勝手を実現しています。おそらくスティーブのアイデアのほとんどは、開発するエンジニアや製造部門の担当者からすると実現可能性に乏しい「妄想」でした。しかし、ディスラプションのプロセスにおいては、この妄想が重要な起点となります。