「大きな分岐点」の日を思い出せない籠池氏

3つ目は17年3月12日。籠池元理事長が著述家・菅野完氏の取材を受け、当時防衛大臣だった稲田朋美議員がかつて森友学園の顧問弁護士であったことを告発する動画をこの日に収録し、翌日公開したのである。

当時、森友糾弾の急先鋒だった菅野氏と籠池氏当人が組んだことは世間を騒然とさせた。以降、菅野氏の「内閣が2つは吹っ飛ぶ」発言がテレビ中継され、メディアに囲まれた籠池氏が「昭恵氏から100万円もらった」と暴露するなど、「森友劇場」化が加速。籠池夫妻の窓口役を担う菅野氏に、メディア各社は文字通り頭を下げて取材機会を得ることになった。

籠池氏は今年2月13日に『国策不捜査 「森友事件」の全貌』(文藝春秋)を出版。自身の回想にジャーナリストの赤澤竜也氏がファクトや資料を補う形で、国有地取引の経緯や事件勃発後の取材攻勢、拘置所生活などについて詳細につづっており、この日の菅野氏との出会いを〈今から考えると、あの日もまた大きな分岐点だった〉と回顧している。ところが籠池氏はなぜ菅野氏の誘いに応じたのかについては〈なにを話したのかよく覚えていない〉として言及を避けている。

本書の共著者である赤澤氏はこの日の面会に同席しており、他の記述と同様に彼がファクトを補うこともできるはずなのに、していない。赤澤氏は面会時のことを当時ネット記事としてYahoo!個人で公開しているが、こちらも「菅野氏の人たらしっぷりがすごい」などとほのめかすのみだった。

もう後戻りはできない。官僚の忖度が問題

このときに何が起きていたのか。実は当日の交渉の模様は、3時間にわたる映像として記録されている。筆者はこの映像を入手した(提供者は、『国策不捜査』にも「『保守の会』の人」として登場する松山昭彦氏)。映像に記録された事実の一端をご紹介したい。

筆者はこの映像を入手した

籠池家の長男・佳茂氏と一緒に籠池邸にやってきた菅野氏は、まず「自分がここに来たことはメディアがみんな知っている」の述べた。もう後戻りはできないことを強調したのか、菅野氏と籠池氏が会ったことをメディアに報じられる前にこちらから打って出ないといけない、というニュアンスか。

そして「娘たち2人の生活を救い、(森友学園の創設者で籠池夫人・諄子氏の父である)森友寛の遺志を継がなければならない。そのため墓参りしてきた」「安倍夫妻は無関係。忖度した役人があまりにもひどい」「籠池夫妻を主語とした記事をなるべく減らしたい」などと籠池氏のウィークポイントを突いていく。

動画を見るに、当時の籠池氏の心境は以下のように推測できる。理事長を降り、学園を娘に託したものの先行きは不安。自宅前にはメディアが四六時中張り込んでいる。心酔する安倍総理を守りたいと思う一方、昔から知り合いで、かつて森友学園の顧問弁護士まで務めたにもかかわらず国会で冷淡な態度をとった稲田議員は許せない――。そうした思いを抱える籠池氏に、菅野氏は時間をかけてこう迫った。