リーダーの本質は業界や時代を問わず、一緒だと思っている。私が尊敬しているのが、巨人の監督としてV9(1965~73年)を達成した川上哲治さんだ。彼はどんなに連覇が続いても油断せず、気を抜かず、そして自分の気持ちを体現していた。王貞治、長嶋茂雄という「ON」を育て上げた力量は、すごいとしか言いようがない。さらにほかの選手たちが、常にONの姿から学び、一層奮起するように仕向けた。戦国という時代状況を考えると、光秀という武将はもちろん私以上に、場合によっては川上さん以上に器の大きなリーダーだったのではないか。

一方、リーダーとしての信長に注目してみよう。信長は天才と言われている。天才であるがゆえに、信長は基本的に家臣からの意見を聞かない。常に一方的に、家臣たちに指示・命令を出した。家臣は大変な思いをしたに違いない。野球でも天才選手が監督を務めると、指示が極端すぎて選手がついていけないことがある。この点に、天才がリーダーになったときの悲劇が内在している。

ここで「監督の何によって、組織は変わるか」という1つの設問を用意したい。その解答は「説得力」だろうと私は思う。そして、この説得力は最終的には「信」につながる。

「信は万物の基を成す」という言葉があるが、リーダーに信用、信頼があると、同じことを言われてもその受けとめ方が全然違うのである。そこそこ戦力となる選手が揃っていれば、「信」のある監督が就任すると、すぐさま強豪チームに早変わりできる。「信」があって、正しい采配を当たり前のように振り、選手たちが全員チームプレーに徹すると組織が強くなるものだ。これは野球に限らず、すべての組織に共通する定理だと思う。

信長はどうだったかといえば、政権ビジョン、そのための戦略、戦術から見れば、家臣たちの信長への「信」は厚かっただろう。しかし、それだけでは、本当のリーダーにはなれない。信長には、家臣の言葉にならない思いを受けとめる胆力がなかった。あるいは、弱かったのではないかと想像する。

「本質」に立ち返れ! 早まるな、光秀!!

光秀の心に、信長に対する疑心暗鬼の思いが芽生えたのは、織田軍が武田勝頼を天目山の戦いで滅ぼしたことで天下統一へ大きく前進した、その勝利の宴が開かれたときだろう。

その宴で光秀は、「上様、我らも年来骨を折り、ご奉公した甲斐がござった」と言った。普通であれば、「光秀の申す通りじゃ」と信長が答えて終わりというところだが、信長は「いつどこで骨を折ったと申すのじゃ」と激しく怒り、厳しい折檻を与えた。この出来事が光秀の信長に対する心境を大きく変えるきっかけとなり、本能寺の変へとつながっていったと言われている。

疑心暗鬼が生まれ始めた光秀に対して、語りたいことがある。疑心暗鬼という邪悪な気持ちに打ち勝つには、「本質と原理原則」に立ち返るのが重要だということだ。