いくつかの台湾ブランドが日本に進出

メディアへのプロモーション活動を開始したところ、女性向けの雑誌やテレビの情報番組で取り上げられるようになった。この状況を見て、日本のマーケットにチャンスありと15年に台湾の有名ティーカフェ「ゴンチャ」などいくつかの台湾ブランドが日本に進出。さらに後押しとなったのは、17年の台湾のティースタンド「The Alley」の進出だ。有力な台湾のティーブランドが出揃うことで、タピオカミルクティーの人気と認知度が上昇。それを見た他の企業も続々と市場に参入しタピオカミルクティーの店が急増。一日に複数店をはしごする客も増え、SNSと口コミによって爆発的に広がっていった。

「やはりブームって1店舗じゃつくれないんですよね。もう1つ追い風になったのは、この年はほかに大流行したスイーツがなかったこと。タイミングがよかったというのはあると思います」

しかし19年半ば以降はプラスチックごみや健康面などが問題視されはじめた。木川氏が考える次の手とは?

「大ブームになると必ず反動がくるのはわかっていました。一過性のブームにしないために、18年にタピオカミルクティー協会というファンコミュニティをつくったり、オフィスワーカーに向けていち早くモバイルオーダーを導入しました」

このような活動が奏功し、今も客層が広がっているという。

タピオカブームの歴史
木川瑞季(きかわ・みずき)
オアシスティーラウンジ代表取締役
マッキンゼー入社後、台湾「春水堂」を日本で展開するオアシスティーラウンジに転職。
(撮影=早坂卓也)
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