それらヘッジ取引については、「エンロンは移転した資産と引き換えに、それら組織に関わる経済的利益(economic interest)を取得した」「エンロンは第三者および関係者とある特定の金融商品(certain financial instruments)を使って、エンロンの資産をヘッジする取引を行った」といった調子だった。この頃になると、エンロンの株価は徐々に勢いを失い、60ドル前後まで落ちてきた。

夏場になると、エネルギーや電力の価格が下落し始めた。市場では、エンロンは、大量の買い持ち(ロング)ポジションを抱え、価格下落で痛手を蒙ったと噂されるようになった。チェイノスは「いかに上手くヘッジしていても、市場がブル(上昇基調)であればトレーダーは儲け、ベア(下落基調)であればトレーダーは損するものだ」と述べており、これはかなり真実を突いている。

同じ頃、トレーダーたちの間で、エンロンの「関係会社」取引に関し、エンロンが株価を維持できなければ、資金繰りに支障をきたすという話が流れ始めた。株価が一定水準を下回ると、エンロンは取引をしている「関係会社」(SPE)の信用力を補填するために自社株を追加拠出したり、「関係会社」の債務を全額返済しなくてはならないという義務を負っていたからだ。

この頃になると、エンロンから次々と悪いニュースが出てくる情勢になってきた。カラ売り屋たちは、これを「ゴキブリ理論」と呼ぶ。1匹いれば、ほかにもたくさん潜んでいることが多いという意味だ。エンロンの株価は48ドル前後まで下がった。

決定的なニュースは、2001年8月にやってくる。エンロンのビジネスモデルをつくった当の本人で、当時はCEOになっていたジェフリー・スキリングが、突然「個人的な理由」で会社を辞めたのだ。チェイノスは、「過去のいかなる事例を見ても、問題があるとされる企業のCEOが、曖昧な理由で会社を去ることほど危険な兆候はない」と述べている。スキリングの辞任で、株価は40ドル台から36ドルまで急落。

その後、株価は、8月末・35ドル、9月末・27ドル、10月末・13ドルと、風に舞う木の葉のように落ちていった。11月末には1ドルを割り込んでたったの26セントとなり、ついに12月2日、チャプター・イレブン(連邦破産法第11条の会社更生手続き)を申請した。
チェイノスは、財務諸表や新聞記事、SECへの報告書といった誰でも手に入れられる公開情報にもとづいて、株価が最高値圏にあるときにエンロン株をカラ売りし、大きな利益を挙げたのだ。