2019年末、ウーバーの創業者トラビス・カラニックが保有株式すべてを売却し、取締役も退任した。世界最大級のユニコーン企業をつくったカラニックとはどんな人物だったのか。その半生を追った『WILD RIDE(ワイルドライド) ウーバーを作りあげた狂犬カラニックの成功と失敗の物語』(東洋館出版社)の刊行にあわせて、立教大学ビジネススクール教授の田中道昭氏に聞いた——。
配車サービスのUber(ウーバー)の看板(東京都)
写真=時事通信フォト
配車サービスのUber(ウーバー)の看板(東京都)

「人間としての批判」が多い経営者

——田中さんはトラビス・カラニックを経営者や起業家としてどう評価していますか。

【田中】私は、2年前に次世代自動車産業における20名以上の経営者とそれぞれの企業を徹底的に分析しました。実は、そのなかでもウーバーの創業者であり前CEOのトラビス・カラニック(以下、カラニック)は、私がリサーチの途中から強い興味をもって、最も多くの英文での文献を調べたり英語での動画を観まくったりした人物の1人になりました。

それは、企業としてのウーバーを褒め称える声が多い一方で、人間としてのカラニックには批判の方が多いことに興味を持ったからです。

ウーバーはまさにライドシェアのみならずシェアリングエコノミーの代名詞となっています。その優れたビジネスモデルは、米国でも一般誌から専門的な経営誌に至るまで高く評価されています。いまやビジネススクールでも優れたケーススタディーの典型例です。

その一方で、話題の対象が創業経営者になると、とたんにトーンが180度変わってくるのです。カラニックが率いていた頃のウーバーは、その「野蛮」な事業展開で知られてきました。安全管理責任や旅客運送法を回避する手法が批判され、世界中で提訴や行政処分を受けてきました。法令遵守もお構いなしの拡大戦略をとることで、事業ではケタ違いの成功を収めることができたとも言えそうですが、批判の声は絶えませんでした。