社会現象になった「ファミリーコンピュータ」

1972年には初の家庭用テレビゲーム機である「ODYSSEY」が発売となり、これは8万5000台の売り上げを残しています。これ以後、様々な業務用・家庭用ビデオゲーム機が大量に製造・発売されていくことになります。いわゆる、「蔓延」の期間です。なおブッシュネルは、1972年に有名なアタリ社を創設し、ピンボールゲームの「ポン」など様々なビデオゲーム開発を進めていきます。

日本においては、1973年に前述の「ポン」と類似した「エレポン」や「ポントロン」などのビデオゲームが発売されています。

1978年にはタイトーから「スペースインベーダー」が発売され、国民的なブームを巻き起こしています(「蔓延」)。3年前の1975年にはエポック社から、日本初の家庭用テレビゲーム機である「テレビテニス」が発売されています。その後、様々な業務用・家庭用ビデオゲーム機が製造・販売されていきますが、米国でも、1977年にカートリッジ交換式のテレビゲーム機「Atari 2600」が登場します。

日本でも同じ形式のテレビゲーム機がいくつか発売されますが、1983年に任天堂から発売された「ファミリーコンピュータ」は、84年末までに300万台を超える普及台数を達成して社会現象にもなりました(「蔓延」)。読者のみなさんの中には、青少年時代に「スペースインベーダー」や「ファミリーコンピュータ」のお世話になっていた方も、かなり多いのではないでしょうか。こうしてコンピューター技術の発展と共に、ゲーム機やソフトなどの性能強化が着々と行われていったのです。

そのうちの決定的な「性能強化」、それが、ゲームとインターネット技術の合体でした。

ゲームとインターネットが合体した

ここで少々、インターネットの歴史について触れます。

インターネットの起源は、1969年に米国にできた都市(長距離)間のコンピューター同士を接続した「ARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork)」とされています。

1970年代より日本でも、大学の研究室内やオフィス内などのコンピューター同士を接続したローカルエリア・ネットワークが研究されるようになります。日本での長距離ネットワークのさきがけとしては、1984年の大学間のコンピューター同士をネットワークでつないだ「JUNET(Japan University NETwork)」が有名です。

ゲームの世界もインターネットと結びつくことによって、飛躍的な進化を遂げました。オンラインゲームの誕生です。

米国のイド・ソフトウェア社は1992年にパソコン向けのゲーム「Wolfenstein 3D」を発売、このゲームは自分が銃を握る手ごと画面に描画され、自分自身もキーボード操作で移動するという一人称シューティングゲーム(First Person Shooter/FPS)でした。イド社は翌1993年に「DOOM」というFPSをリリースしますが、このゲームはパソコンをネットワーク接続することで四人までのプレイヤーが協力・対戦でき、オンラインゲームの萌芽とされています。そして1997年に、「ディアブロ」や「ウルティマオンライン」という、インターネットによる大規模多人数同時参加型ロールプレイングゲーム(Massively Multiplayer Online Role‐Playing Game/MMORPG)が登場します。