「給与4%増の代わりに残業代ナシ」になった理由

教師の給与を4%上乗せする代わりに残業代を支給しない、この「給特法」について、もう少し詳しくご説明しましょう。

この法律ができたのは、1971年のことです。当時、教師の残業代をどのように支給するか、ということが議論されていました。その少し前の1966年に行われた教員の勤務状況調査によると、当時の教師は1週間あたり2時間ほどの時間外労働を行っていました。この調査に基づき、給与総額の4%を上乗せすることで、この時間外労働分をカバーできるだろう、ということで、この金額になったのです。

なぜ一般企業のように、時間ごとの残業代を支払う、という仕組みにならなかったのでしょうか。いくつか理由はあるのですが、その理由の一つが、教師は「仕事」と「仕事ではない」ことの線引きが難しい、というものです。

例えば、自宅で教育実践のための書籍を読んで、「どうすれば子どもたちに分かりやすく教えられるか」と勉強することは、仕事でしょうか。例えば、休みの日に授業で使う教具を考えたり、つくったりすることは仕事でしょうか。また、日々の生活から「これは授業で使える」と着想して生かすのは、教師としてはごく普通のふるまいです。

このように、「仕事」と「仕事でないこと」の線引きが難しく、勤務時間のみで考えることがなじまない、という点に、当時の政治家たちは着目しました。その「特殊性」に対して給与に上乗せをしよう、そしてその上乗せ額は実際の労働時間(当時)にあわせよう、というのが、この給特法という法律でした。

仕事はどんどん非効率になり、長時間労働が普通になる

とはいえ、この法令が出来たのは1971年のこと。約50年前の教師の働き方が基準になっています。昭和が終わり、平成になり、そして令和になって、教育への考え方が大きく変わってきています。

この50年間で、「学級崩壊」「校内暴力」「不登校」「インターネットいじめ」など、教育の大きな問題がクローズアップされるようになりました。そして、それに対応するという教師の業務範囲も広がっていきます。また、昔のように子どもたちに一斉に指導をして大半が終わり、ということにはならず、子ども一人ひとりと手厚く向き合う必要が出てきました。それ自体は重要なことなのですが、結果、教師の時間外勤務が増えてきたのも事実です。

ですが、時間外勤務が増えようが、「定額働かせ放題」の下で教師の給与は変わりません。企業であれば残業代が膨らんだとき、「時間外労働を減らして予算を減らそう、そのために業務の整理をしよう、効率化を図ろう、管理職はそのために部下の状況を注視して必要な対応を……」といった、時間外労働を減らすためのインセンティブが企業に働くでしょう。

他方、公立学校ではどうでしょうか。教師が働いても給与が変わらないのであれば、学校や教育委員会としては、特にそれを抑制する理由はありません。結果、慢性的な長時間労働、そして、非効率な面が多い学校の働き方が生じているのです。