ある時、僕は、ヨーロッパからアンカレッジ経由で、熟年の女性グループに添乗して帰国した。いつもながら、団体旅行は、大人をわがままな子どもに変える魔力があった。そのツアーでは、その魔力がいつも以上に威力を増し、僕は普段より10倍疲れていた。

空港から乗った帰りのリムジンバスは、思いのほか混んでいた。僕はチケットの座席を確保して、1秒でも早くシートに体を投げ出したかった。自分の座席を見つけて、手荷物を網棚に乗せ、下を向いた僕は、先に隣の席に座っていた女性と目が合った。それが優子だった。

ひどくくたびれていた僕に彼女がくれた「おつかれさま」の六文字と満面の笑顔は、僕を秒殺するのに十分すぎた。その時から僕は、その声と笑顔を、一人占めしたい欲求を抑えることができなくなった。

その日を境に僕らの会話には、仕事上のやり取りのほかに、好きな食べ物や、これまで訪れた旅先の話といった、プライベートの話題が加わるようになった。

それから10年──。今自宅では、彼女と、僕たちが授かった娘が、僕の帰りを待っている。

なかなか成績が上がらない時、いつもあることについて考えてしまう。

僕は、これまで、けっこうやりたいことを実行してきた。しかし何をやっても、どこにいても、何か姿の見えない“化け物”を恐れているような、説明のできない不安に襲われることがあった。

旅行会社でも、レストランでも、今の仕事のセールスもそれなりに頑張ってきた。少なからずやりがいも感じた。でも、その一方で、うまくは言えないのだけれど、何かしっくりこない、違和感のような気持ちを包えながら生きてきた気がする。

いつも、森の中で道に迷っている子どものような、もう一人の自分が僕の中にいた。この気持ちは、時々現れてはいつの間にか消え、また忘れた頃に突然現われた。

僕の営業エリアは、高級住宅が立ち並ぶ都内の一等地。この地域で、家の建て替えを勧めたり、新築の住宅を売ったりするのが、今の仕事だ。商品としての住宅は、よく人生で最大の買い物と言われる通り、そんなにバンバン売れるものじゃない。だから、月に一軒でも売れたらトップセールスになれた。そして、トップセールスは、社内の誰からも特別扱いを受けるスターだった。僕はと言えば、いつも目標にあとちょっとという、いたって害のない存在で、トップセールスがイコール昇格という仕組みのこの世界で、立場は、課長の一歩手前の係長という、何とも中途半端な存在で止まっていた。この会社で、営業課長と係長では、天と地ほどの違いがある。

「さてと……」一人で営業している営業マンは独り言が多い。

僕は、ニコチンが毛細血管にまで浸み渡るように、タバコを大きく吸って、肺の中で、溜息と交換して車の外に吐き出した。そして、車を事務所とは反対の方角にある公園に向けて走らせた。

売れない営業マンは、必ずと言っていいほど、自分のさぼる場所を確保している。前にいた営業所では、繁華街に事務所があったので、さぼる場所は雀荘か漫画喫茶だった。この営業所に来てからは、ちょっと離れた所にあるファミレスか、住宅街の真ん中にある小さな公園になった。

僕は、公園の駐車場の奥から2列目に車を停めた。平日の駐車場は、どう見ても営業車という車が目についた。同類のドライバーたちは、お互いに干渉することなく、車の中で自分の世界に閉じこもっていた。僕は、車の中の淀んだ空気より少しは気晴らしになると思い、コンビニで買った缶コーヒーが入った袋を持って、車を降りた。3月の初めのこの時期は、春先とはいえ花冷えのする日がある。でも今日は、僕の心とは反対で、よく晴れて暖かかった。さっきの商談がまとまっていれば最高の天気なのに、空気がさわやかな分、かえって落ち込み方が激しい気がする。まあ、商談が決まっていれば、ここへは来ない。お客の家を出るなり、マッハのスピードで事務所に帰っていたはずだ。

毎日眺める景色なんて、その時の気持ちしだいで、別の風景になってしまうから不思議だ。

平日の公園は、休日のそれとはまったく別な顔を見せる。休日の公園は、若いパパとママと幼い子どもが、それぞれの家族ドラマを演じている。しかし平日は、年配者と独りで犬を連れた人が目につく。

この公園にはちょっとした池があって、ボート乗り場もある。休日は、カップルや親子でにぎわっているだろうに、平日は、ほとんどの船が艀に繋がれている。人が乗って、池を行きかう時には気づかないのに、繋がれているボートは色あせて、禿げたペンキがよく見えた。特に足こぎボートの白鳥は、どう見ても優雅というより、みじめだった。