大風呂敷を支えた緻密な「身体検査」
投機的な人事の一方で、政策においては「科学的政治家」と呼ばれ、調査を重要視した。後藤のつくった「満鉄調査部」は戦前最高のシンクタンクであったし、国勢調査を最初に提唱したのも後藤だった。背景となったのは医学だろう。国家は自ら不調を訴えてはくれない。調査という「検査」をして、集めた情報を分析しなければ、「治療」につながる政策は打てない。後藤の大風呂敷にはかならず科学的な裏付けがあった。
後藤はつねに一代先、二代先の未来を見ていた。壮大な都市計画をつくり、人材の育成に力を注いだ。現代に並び立つ政治家がいるだろうか。「マニフェスト」は個別の具体策ばかりで、国家のグランドデザインがない。民意に迎合したバラマキ政策のため、膨大な赤字国債を発行してツケを先送りする。誰もが選挙のことばかり考え、不可避である増税や憲法問題には言及しない。後藤はそうした守成から遠く離れた政治家だった。没後80年を迎えたいま、我々はあらためて後藤の姿勢に学ぶべきではないだろうか。
(鈴木 工=構成 門間新弥=撮影)