独自の人材育成哲学で注目されるお好み焼きチェーンの千房。誰もが手を焼いた問題児たちを、立派な社員に育て上げた秘訣とは――。
ある時期、いわゆる「落ちこぼれ」の人たちを採用していました。好き好んで採ったのではなく、実をいうと選り好みができなかったからです。
しかし、面接して話を聞くうちに、家庭環境にめぐまれなかったから校内暴力やシンナー遊びに走ってしまったという、やむにやまれぬ彼らなりの事情がわかってきます。そうなると、不採用にして追い返すことのほうがむしろ勇気を要します。情が移るのです。
「よう頑張ったな。ようここまでで止まったな。よっしゃ、うちにおいで。採用や」
こういって、何人かの元非行少年を受け入れてきました。
彼らを指導するのは、たしかに骨の折れる仕事です。ふつうの社員と比べたら手間暇はかかります。たとえば元非行少年の場合は、定時に出勤するという習慣がなかなか身につきません。そこで、1時間遅刻する子なら「30分までは認めよう」とするのです。そういう配慮はしましたが、基本的に特別扱いはしていません。
部下に対するときの私のスタンスは一貫しています。
叱るときは部下の親か兄のつもりで叱ります。場合によっては「いいか、おまえの親の代わりでいうぞ!」と前置きしてからカミナリを落とします。「こいつには何とかわかってほしい」「よくなってほしい」という肉親同様の気持ちがベースです。ですから、きつくいえばいうほど迫力が出ます。
一方、「ようやったな。できるやんか!」と褒めるときは「千房社長」という肩書で褒めるのです。これを逆さにしたら効果はありません。
肉親のような親身な思いからガツンとやられれば、叱られるほうも、どこかで「ありがたいな」と感じるはず。でも、上司という公的な立場から叱られれば、逃げ場がなく辛いばかりでしょう。逆に「社長」から褒められれば、こんなに嬉しいことはないのです。
「叱るときは肉親のつもりで、褒めるときは肩書で」
私はこう肝に銘じています。原点は丁稚だったころの経験にあります。