同社の木村達央会長兼社長(撮影=プレジデントオンライン編集部)

「2017年当時は29歳から34歳の購買層が10%近く伸びました。上の世代からも支持があるのはありがたいのですが、ブランドコンセプトがぼやけてしまったため、本部と店舗、そして消費者の声も聞きながらターゲットを再設定したのです」(手塚氏)

ブレーク当時の社長で、現在は会長も兼務する木村達央氏は、率直に語る。

「もともと、その時代に合ったトレンドを表現できるのがセシルマクビーらしさであり、30年以上も展開するブランドの強みでした。でも、この5年は右肩下がりで売り上げも落ちていき、社長としていろんな施策を打ちましたが、時代の変化は予想以上に大きかった。ようやく下げ止まり、反転の兆しも出てきています」

売り上げの約7割を同ブランドが占める会社の売上高は、2014年1月期の214億100万円から、2018年2月期は147億8200万円まで下落した。今後はどこまで巻き返せるのか。

もともとは「山の手お嬢さま系ファッション」だった

今回のリニューアルの基本思想にもつながる、会社と経営者の横顔も紹介しよう。従来のイメージから、一般にはギャル出身の社長と思われがちだが、かなり正統派だ。

前身となる会社の創業は戦後間もない1946年、焼け跡が残る新宿の婦人服店だった。その後、新宿や渋谷など都心部の駅ビル中心に出店し、高度成長期に首都圏のショッピングセンターとともに発展した。「セシルマクビー」のブランド登録は1987年。当時はスーツやコートなど重衣料が売り上げの柱で、山の手お嬢さま系ファッションを得意としていた。

それが変わったのが1996年。この年「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」(木村氏)。マルキューが「渋谷に集まる女子高生」をターゲットに、館内をリニューアルしたのだ。セシルもブランドテイストを大きく変えてブレーク。その勢いは2013年まで続いた。

実はジャパンイマジネーションは、ユニクロのような「SPA」(製造小売り)型でなく、「専門店」型。靴やカバンのような専門店の意味ではなく、「独自の世界観と商品展開を行う業態」という意味だ。社内に商品企画担当はいるが、商品製作は取引先の中小アパレルが担う。

創業者の長男である木村氏は、学習院卒業後、三菱商事に就職して主に経理部門で従事。父・恭也たかや氏(故人)の経営する同社(当時の社名はデリカ)に入社した。川上の原材料から川下の最終製品までを扱う商社での管理経験も、社業に投影されている。

一方の手塚氏は、セシルがブレークした時期にSHIBUYA109店のチーフも務め、当時の熱気を肌で感じてきた。全盛期を支えた「ギャル」が、ほぼいなくなった時代性とも向き合う。