日立のV字回復の立役者。原発は必要
名経営者として知られるようになり、一部からは経団連会長への就任も嘱望されたが、17年に福島第一原子力発電所の爆発事故後の東京電力HDの会長に就いた。政府側からの要請を受けたとされる。
一緒に就任した東京電力の生え抜きで、異例の営業畑出身の社長となった小早川智明氏と一緒に、これまでは地域独占企業だった東京電力に「稼ぐ力」を促した。また、東京電力にトヨタ式のカイゼンを導入し、これまでのムダをなくすよう努めた。今年度は再建計画「新々・総合特別事業計画」の3年目でだ。
原子力発電に関しては「原子力を捨てれば日本が衰退する」と述べており、資源に乏しい日本では原発が重要という考えを持つ。柏崎刈羽原子力発電所(新潟)再稼働にも前向きだった。
東電のラストマン「最後に伝えたかったこと」
ベストセラー『ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」』(角川書店)の著者としても知られる。ラストマンとは、川村氏が日立時代の上司から聞いた言葉で、沈没寸前の船において、船長はすべての乗客や船員が下船したのを見届けてから船を下りることに由来する。川村氏は組織の最終意思決定者の覚悟を示すためにこの言葉を使う。
川村氏は日立製作所の副社長時代に搭乗した羽田発・新千歳行きの飛行機がハイジャックされた際(全日空61便ハイジャック事件)に「犯人の言うことを聞く」というマニュアルに従い黙って見守るスタッフたちを一喝。コックピットに突入した非番のパイロットの姿に「ラストマン」を見たといい、自身も周囲に「晩節を汚す必要はない」と止められながらも、経営危機に陥った日立の社長に就いた。東京電力会長の就任の際も、事故後に同社が世間から大バッシングを受けるなか重職を引き受けた。
川村氏が引退を決意した理由、引退後にしたいこととは。なぜこのタイミングなのか。東京電力は川村氏の発言をどう受け止めているのか。12月13日発売の「プレジデント」(2020年1月3日号)で詳細を報じる。