「裸を見られているよう」“人体解説”を拒絶する人々の言い分

担当記者さんが言うには、この投書に対し、読者から賛否の意見が多数寄せられたというのだ。11月20日付同紙に掲載された内容の一部を紹介しよう。

「背骨全体にチタンが入っている。数多くのボルトも。病歴に踏み込んだ説明をされるのは、裸を見られているようで安らかな気持ちになれない」(一部、東京都、55歳)

「晩年の伯父は闘病生活を余儀なくされ、ほとんど見舞いに行けなかった私は心のどこかで申し訳なく思っていました。しかし、お骨の説明を受けて伯父の病状を知ることができ、生前の様子も想像できました。形ばかりの静かなお骨揚げではなく、伯父が生きた証しを知ることができたお骨揚げは、私にとっては貴い時間でした」(一部、東京都、48歳)

「散骨や樹木葬も珍しくなくなった昨今ですから、今さらとりたててお骨の説明うんぬんで騒ぎ立てるほどのことではないのかもしれません。でも私自身が『お骨』になる時のことを考えると、説明はご遠慮したいと思います」(一部、群馬県、66歳)

「お父さん。80年間、よく頑張ったんだね」と思う人も

「『ここは体のどの部分です』と言われたとき、『お父さん。80年間、よく頑張ったんだね』と感慨に近いものがあふれてきた」(一部、熊本県、54歳)

拾骨時の「人体解説」について違和感を感じ、異論を唱える人が出てきたなんて。現代社会を投影したような話ではないか。かつて死後の始末は、「イエ」「ムラ」といった共同体に委ねたもの。それが、「私」が理想とする死を求める時代になったのだ。骨揚げの意識の変化は、現代人の死生観を浮き上がらせる。

火葬後拾骨において、東日本では全部の骨を拾って骨壷に納めるが、西日本では一部の骨しか拾わない。これは2019年1月13日の本コラムで触れた通りである。その拾骨の際、たいていは火葬場の職員が立ち会う。

撮影=鵜飼 秀徳
骨壷の種類(全部拾骨の関東は大きく、一部拾骨の関西は小さい)