家族との生活を犠牲にする価値があるのか
ある地方の山あいに、小さなメーカーがあります。以前、現地で取材し感銘を受け、同社の社長さんには私が営む会社が開講する経営者セミナーでもたびたび講演してもらっています。あるとき、その社長さんからこんなエピソードを伺いました。
地方にある町工場なので、当然、都会の大企業のような高待遇は望めません。しかし、転勤のない地域密着型の会社ですから、職住近接で家族ともしっかりコミュニケーションを取って暮らすことができます。男性であっても、子どもが熱を出したと連絡があれば、すぐに学校に駆けつけられる環境です。
この会社ではまた、社長と社員が夢を語り合う「夢会議」を定期的に開催しています。この会議で社長から「何か人生の目標を持ちなさい」と言われたある社員は、「家族で家を持ちたい」という目標を語ったそうです。
そしてその社員は社長の勧めで目標実現のために「夢年表」を書き、そのときから給料をやりくりし、貯金をしてついに家を建てました。その人は学生時代には勉強は得意ではなかったとのことですが、町工場でコツコツ働きながら夢を実現し、家族との幸福な生活を手にすることができたのです。
一方、その社員には高学歴で都会の大企業に勤めるお兄さんがいました。当然、収入はお兄さんのほうが高かったのですが、日々の仕事で疲れ切り、転勤の連続で家族と一緒に暮らすこともできず、その時点では家族で団らんできる家を持つこともできなかったそうです。
読者の皆さんはこの兄弟のどちらを幸せだと思うでしょうか。一昔前の価値観なら、都会の大企業で高収入を稼ぐお兄さんは典型的なエリートサラリーマンの成功例と見なされたはずですが、今は世の中の価値観も変わってきました。地元に密着して働きながら、自分の家を持って家族と仲良く暮らせることのほうに、本当の幸福を感じる人も多くなっているのではないでしょうか。
「我慢して勤めて出世を期待する」時代は終わった
私も含めたバブル世代は、今ならパワハラ・セクハラで一発アウトになりそうな上司に仕え、不条理な指示・命令を引き受け、長時間労働や出張もいとわず、辞令1枚での転勤・異動にも耐え抜いてきたはずです。
それもこれも、今は我慢して働けば、成功し、将来は豊かになると信じて疑わなかったからです。滅私奉公すれば出世でき、20年、30年後には課長や部長という肩書を手に入れられ、給与も上がって郊外に家を構えて家族を養えると考えていたからです。