歴代法王初の「フランシスコ」という名は、清貧に徹して中世のカトリック界を刷新したアッシジのフランチェスコに由来する。ブエノスアイレスでも公用車に乗らずに公共機関を利用し、自炊をし、質素な暮らしを守り、いつも貧しい人の側に立っていたという新法王にふさわしい。
南米にはヨーロッパなどとは全く別のタイプの貧困があるから、それを現場で知っている人は強い。2001年の聖木曜日にブエノスアイレスの病院でエイズ患者12人の足を洗った(最後の晩餐の前にイエスが弟子たちの足を洗ったことに因む洗足式)姿も何度も紹介された。
どんな権力者にも忖度しない
実際、就任後のフランシスコの人気は高まるばかりとなった。保守化が目立った晩年に病で苦しんだヨハネ=パウロ2世や学者タイプでコミュニケーションが円滑にいかなかったベネディクト16世の後で、ユーモアを忘れずシンプルに率直にものを言うフランシスコは、同時に、徹底的に弱者の側に立ち、どんな権力者をも忖度しないからだ。
就任前にはヴァティカンに常駐したことのないはじめての法王として、前任者には困難だった「改革」にもすぐさま乗り出した。就任1カ月後には、ホンジュラスのマラディアガ枢機卿を中心にした法王庁改革のための評議会を設置、関連基本法の改革も委託した。
歴代法王の慣習である夏の別荘でのバカンスもとらずにヴァティカンに残り、6月にはヴァティカン銀行(IOR)の腐敗を終わらせるための評議会を設置し、7月にはヴァティカン初の会計監査委員会を設置することを発表し、これまでの「イタリア式」の不透明なやり方を簡素化、合理化すると明らかにした。
この3つの決定の他に、宿舎で挙げる毎日のミサの中で少しずつ、「外見だけの信者」や「酢漬けピーマン頭の司祭」などという言葉を使って批判し、続く7月にブラジルで開催された世界青年の日大会では何百万人もの若者たちを前にして、「カトリック教会はこれまで世界を自分の基準にのみ照らして裁くただの監視行政機関になってしまっていた」と批判した。
「人生をバルコニーの上から眺めていてはいけない」
そんなカトリック教会を不毛だとして多くの人が去っていったのは教会全体の責任であり、それらの人々のとった道と再び交わるように、信者も聖職者も教会から外へ出ていかなくてはならない、という。
法王は、若者たちの連帯に期待している、世界を変えるためには政治的にも社会的にも「現場」に関わるようにと言った。人生をバルコニーの上から眺めていてはいけない、社会を変えるために動け、イエスもそうした、と語った。教会を惰眠から覚醒しなくてはいけない、と。