国民の理解には「沖縄の基地縮小」が必須
そして日米安保条約6条では日本の安全並びに極東の平和および安全に寄与するためとして、日本がアメリカに対し基地の提供を定めている。この基地提供義務により安保条約の双務性が担保されていると解釈されてきた。これが今日、日本全体のわずか0.6%の面積しかない沖縄に全体の70.27%もの面積にあたる米軍専用施設が存在し、基地の縮小が遅々として進まない背景にある。
戦後の日本の安全保障体制がアメリカ頼みである一方、日本の周辺の安全保障環境が悪化していったとき、私を含め外務省に勤務する多くの人々は明快な認識を持っていた。それは日米関係の信頼性を高めることであり、日本としての安全保障上の役割を強化することであり、沖縄の基地縮小を実現することだった。これら三つのことは相互に関連している。日米の信頼性を高めるためには、日本としての安全保障上の役割を強化することは必須だ。日米安保体制についての国民の理解を得るためには沖縄の基地縮小は必須と思われた。
2015年の安保新法制につながる一連の流れ
私は橋本内閣が成立すると同時に外務省で日米安保を担当する北米局審議官に就任した。橋本総理のところに頻繁に通い、アメリカのカウンターパートだったカート・キャンベル国防副次官補と水面下での折衝を繰り返した。
私が一番重要だと思ったのは包括的な絵を描くことだった。沖縄の基地整理・統合・縮小に向けて、まず象徴的な基地の返還を決めること、その上で冷戦終結後の東アジアの国際安全保障環境のなかで日米安保体制の果たす役割を橋本―クリントン首脳宣言で打ち出すこと、そして日米防衛協力ガイドラインで日本の安全保障上の役割の拡大を図ること。
これは1996年4月の普天間海兵隊基地返還合意、日米安保共同宣言、1997年9月の日米防衛協力ガイドライン改定、そしてその後の周辺事態法などの国内法制措置につながり、さらにはインド洋での自衛隊の給油活動や人道支援・復興のための自衛隊イラク派遣へと向かった。日本の安保上の役割を拡大する流れは安倍内閣の下、2015年の安保新法制で集団的自衛権行使の一部容認へとつながっていった。