外国情報機関の活動拠点としての香港
数カ月にわたって香港での大混乱を引き起こした逃亡犯条例改正案提出は、同地を拠点にさまざまな秘密活動を行ってきた外国情報機関にとっても一大事であった。英国による統治時代から、香港は長らく米英情報機関の活動拠点でもあり、今日もその状況に変わりはないからだ。
例えば、1989年の天安門事件の直後、多くの民主化運動の学生リーダーたちが中国公安当局に追われたが、この時、香港を拠点として、地元の実業家や有志らとともに彼らの海外逃亡を支援したのは英秘密情報部(MI6)や米中央情報局(CIA)であった。
この秘密作戦は「黄雀作戦(行動)」と呼ばれているが、英米情報機関はこの時、逃亡の資金のみならず、通信機や暗視装置、さらには武器なども逃亡学生らに提供したとされている(フィナンシャル・タイムズ、2014年6月1日 "Tiananmen Square: the long shadow")。
ちなみに「黄雀行動」とは、「セミを狙うカマキリを、その背後からカナリアが狙っている」という中国の故事成語(蟷螂捕蝉、黄雀在后)にちなむもので、つまり目の前の獲物を狙っている自分もまた、別の敵に虎視眈々と狙われているという意味だ。
そんな香港では、中国返還後も外国情報機関が引き続き活動していた。例えば2004年、英国パスポートを持つ香港人3人が英秘密情報部(MI6)のスパイだとして中国国内で逮捕されている(テレグラフ、2004年3月3日 "Hong Kong residents spied for MI6, says Beijing")。
また、リビアの反カダフィ体制運動に失敗し、そのせいで英国に亡命したサミ・サーディ氏という人物は、英国とリビアの関係改善が進んでいた2004年3月、香港の英国領事館で突然逮捕監禁され、MI6によって妻や4人の子供たちと一緒に手錠と足かせをされた状態でリビアに輸送され、カダフィ政権に引き渡された。
このとき、香港政府側でこの誘拐に積極的に関わったとして名前が出てくるのが、当時、香港政府治安当局の常任秘書長だった人物である(サウス・チャイナ・モーニングポスト紙、2014年12月13日 "Hong Kong's role in kidnapping of Libyan dissident Sami al-Saadi back in spotlight")。