販売不振で「右がさらに右、左がさらに左」という構図

週刊ポストの記事を作家らに批判された小学館は、週刊ポストを新潮45のような「無残な休刊にしてはならない」と考えたのだろう。週刊ポストのライバルは講談社の『週刊現代』だが、両誌はここ数年、高齢者の性をたびたび特集するなど生き残りに必死だ。

だが、必死の努力にもかかわらず、出版業界は深刻な不振から抜け出せない。たとえば新潮45は1985年創刊で、ピークの2002年には10万部を発行したが、休刊直前には1万7000部まで落ち込んでいたという。過激な右寄り路線に走ったのは、読者獲得に血眼になった結果だろう。

新聞社も出版社と同じく不振だ。自らの社論に合う読者を少しでも多く確保しようと、保守系新聞がさらに右寄りになり、革新系新聞がさらに左寄りになる。その過程で不祥事を起こし、さらなる読者離れが生じる悪循環に陥っている。

やはり国民の多くが韓国をおかしいと感じている

話を新聞社説に戻そう。朝日社説はその中盤で主張する。

「関係が悪化するなか、あるべき外交をさまざまな角度から提起するのはメディアの役割だ。しかし最初から相手国への非難を意図するものでは、建設的な議論につながらない」

朝日社説の主張のように週刊ポストは嫌韓が先にあったと思う。「嫌韓が売れる」と判断したのだろう。なぜそう判断したのか。やはり日本の多くの国民が韓国のやり方をおかしいと感じているからである。

ただし、繰り返すが、嫌韓の問題といまの日韓関係悪化を同次元で論じてはならない。週刊ポストは同次元で論じたがゆえに、朝日、毎日、東京の三紙に批判された。三紙は、嫌韓の問題と日韓関係悪化を同じ土俵に乗せることで、読者の支持を得ようとしているのだろう。

朝日は「もし出版物の販売促進や視聴率狙いで留飲を下げる論旨に走るのならば、『公器』としての矜持が疑われる」とも書く。だが、朝日社説は雑誌を本当に公器と考えているのだろうか。朝日が公器と認めているのは、新聞のみではないのか。