教団を批判して狙われた人々

1994(平成6)年になると、オウムの攻撃はさらにエスカレートしていく。

5月9日、オウム信者のカウンセリング活動を行っていた滝本太郎弁護士が襲われる。

駐車場に止めてあった車のフロントガラスにサリンを流されたのだ。

〈帰り道、視界が暗くなるなどの症状は出たが、大事には至らなかった。滝本は、車に乗るとウォッシャー液で窓を洗う癖があった。〉(『全真相』)

そのため、サリンの大部分が加水分解され、事なきを得たのだろう。

滝本弁護士は、あわせて3回も殺されかけている。車のドアの取っ手にVXが塗られたときは、革手袋をしていたため難を逃れた。富士宮市内の旅館でオウムと交渉しているとき、オウム幹部に勧められて飲んだジュースのコップに、ボツリヌス菌が塗りつけてあったことも、のちに判明する。

教団を批判する漫画を描いた、漫画家の小林よしのりさんも、VXで狙われた。

ジャーナリストの自宅に毒ガス

江川さんが標的にされたのは、9月20日未明のことである。事件発生からしばらく時間がたったころ、江川さんが当時住んでいた横浜市内のマンションから電話をかけてきて、

「どうもオウムに襲われたみたいです。新聞受けからホースみたいなものを突っ込まれて、部屋に何かかれたんです。白い煙がもうもうと出て、すごく目がちかちかして、喉が痛いんですよ」

淡々と言う。私は動転してしまい、

「すぐ警察に通報して! 救急車を呼んで病院に行かなきゃだめだ!」
「やっぱり警察に連絡したほうがいいですかね。どうせ何もしてくれないと思いますよ。でも、もう大丈夫だと思います。窓を全部開けて、煙を出したから」

江川さんは落ち着いたもので、口調もしっかりしている。私は「警察に連絡して、すぐ病院に行って」と繰り返して受話器を置いた。

あとでわかったことだが、事は重大だった。

殺害を指示したのは麻原で、新實、遠藤誠一、中川、端本の4人が、廊下に面したドアの新聞受けから、毒ガスのホスゲンをいたのだ。ドアノブがゆるんでいたことから、4人が侵入を試みたことも明らかになる。

江川さんは気丈にも、逃げる犯人を追いかけたようだ。

〈ドアを開け、外廊下に出てみると、黒っぽい服装に、頭をフルフェースのヘルメットのようなもので覆った男がマンションから走り出て、待っていた車の助手席に乗り込み、急発進で逃げるのが見えた。〉(『週刊文春』95年3月30日号)

しかし、私には何も言わなかった。それから1週間くらい、満足に声が出ない状態が続いたようだが、泣き言も恐怖心もまったく口にしない。おそらく、「自分が坂本弁護士をオウムに結び付けた。拉致された一家3人の恐怖を思ったら、自分の身に起こったことなど取るに足らない」という意識が強かったのだろう。

事件の前にも、脅迫電話が絶えないと洩らしたことはあるが、怯えるそぶりなど少しも見せなかった。