大成する若手時代の過ごし方

亀山千広も当時の木村を振り返りながら「とくに新人の役者さんの場合は、どの時期にどんな役を演じるのか自分でコントロールしていかなければ、大きな役者になれません(※5)」と語っています。

これは何も役者に限った話ではありません。

自分の理想とする仕事のビジョンを、きちんと把握できるのは、自分だけ。むしろ、自分の10年後の仕事のビジョンまで意識して、仕事を振ってもらうことを他人に求めるのは、なかなか難しい話です。

もちろん、他人に言われた仕事をこなし続けるのもひとつの美徳ではありますが、ときには、自分のビジョンとかけ離れていないか、その仕事の延長線上に自分の理想はあるのか、立ち止まって考えてみるべきなのかもしれません。

木村はひとつひとつの仕事が、自分の未来に及ぼす影響を考えて仕事をすることで、理想とする自分のビジョンに、強烈な意志をもって近づいていった人なのです。

仕事ではありませんが、当時のジャニーズのアイドルとしては珍しく、しかも『ビューティフルライフ』が大ヒットを記録した2000年、28歳での結婚や父になる決断も、なりたい自分の将来像に対する、強烈な意志の表れなのではないでしょうか。

意志を持ちながら、過信は絶対にしない

一方で、自分の意志をしっかり持つことと、自分の力を過信することは別だということにも気をつけているようです。

自分の力を過信すると、周囲で支えてくれている人たちがいる、ということを忘れがちになってしまいます。しかし、木村はその意識をきちんと持っています。

映画の記者会見などで「俳優部の一員として……」と言うのはその表れ。衣装部、照明部、演出部……他にも多くの人たちがいて作品が成立していて、自分はそのうちのひとつの部の一員でしかない、という意識が強いのです。そこに「自分が主役だ!」という自我は垣間見えません。

冒頭に引用した言葉の通り、木村拓哉はもちろん努力という意味で頑張ってきたけれど、語源のようにむやみに「“我”を張ってきた」男ではないのです。

本人もこう語っています。

「僕らの仕事は、『この役をあなたにお願いしたい』と誰かに言われて初めて成立します。まず、そう言ってもらえるのが信じられないほどありがたいこと。思いを作品という形にして、たくさんの人たちに向けて放つというのは、ものすごいエネルギー。僕は、そこに一員として参加させてもらっているだけです。一人じゃ、なんっにもできないんですよ。『自分一人で』という感覚は、僕の中では皆無です(※6)