1995年、オウム真理教は東京の地下鉄に猛毒サリンを撒いた。乗客や駅員ら13人が死亡、約6300人が負傷するという凶悪事件の背景には、なにがあったのか。当時、『週刊文春』編集部は、その元凶に神奈川県警の捜査ミスがあったことをつかんでいた——。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第1章「『オウムの狂気』に挑んだ6年」の一部を再編集したものです。

オウム真理教事件・坂本龍彦ちゃんの遺体搬出
写真=時事通信フォト
発見現場から龍彦ちゃんとみられる遺体を運び出す車両、1995年(長野・大町市)

龍彦ちゃんが眠っている

「まだ極秘なんですけど、これを見てください」

江川紹子さんは、『週刊文春』編集部の小さな会議室で私と向かい合うと、一枚の紙を広げた。1990(平成2)年2月20日ごろのことだった。

それは手書きの地図で、こんな手紙が添えられていた。

「龍彦ちゃんが眠っている。誰かが起こして、龍彦ちゃんを煙にしようとしている。早く助けてあげないと! 2月17日の夜、煙にされてしまうかも、早くお願い、助けて!」

金くぎ流の文字からは、筆跡を隠そうという意図が見て取れた。地図には、断面図のような絵が添えられていた。一本の木が描かれ、傍に×印がつけてある。縦に掘った穴からさらに横穴があり、そこに子どもが横たわっている。

横に掘った穴に、妙なリアリティーを感じたのを覚えている。

地図入りの手紙は、神奈川県横浜市の磯子警察署と横浜法律事務所に送られてきたという。差出人の名前はない。封筒は新潟県高田市の消印で、日付は2月16日となっていた。

横浜法律事務所には、妻の都子さん(29)、一人息子の龍彦ちゃん(1歳2カ月)と共に、3カ月前から行方不明になっている坂本堤弁護士(33)が所属している。事件を捜査しているのが、神奈川県警の磯子署だった。