「Mがずれていてよかった」

岡崎が匿名の手紙を出したのは、麻原以下25人が、「真理党」から衆議院選挙に立候補していた時期だった。1990(平成2)年2月3日公示で、18日が投票日。岡崎も東京11区の候補者だったが、選挙戦さなかの2月10日、オウムから脱走を図る。

その際、2億2000万円の現金と8000万円の預金通帳を持ち逃げしようとしたが、これは幹部の早川に阻止されてしまう。

そこで岡崎は、麻原に対して、退職金名目の「口止め料」を要求。麻原がなかなか応じないので、自分の本気さを示す目的で手紙を送ったのだという。坂本弁護士と都子さんの遺体遺棄現場を示した手紙も投函したが、ようやく麻原が830万円の支払いを了承したため、郵便局に出向いて回収している。

両県警の捜索にもかかわらず、龍彦ちゃんの遺体が見つからなかったことをニュースで知った岡崎は、麻原に電話をかけた。麻原は、

「Mがずれていてよかった」

と喜んだという。「M」は「メートル」を意味する。

神奈川県警は、それから半年以上たった同年9月になって、手紙を書いたのが岡崎だと知り、当時住んでいた山口県宇部市へ出向いて、3日間にわたる事情聴取を行う。ポリグラフも使われた。

千慮の一失

岡崎は、自分が手紙を投函したこと、麻原から金を受け取ったことは認めたものの、頑として坂本事件への関与を否定。こう言ってはぐらかした。

〈「教祖に金を無心したところ、教団には選挙の自由妨害や住民票の不正移動で警察の捜査が入るおそれがあるので、その矛先をそらすため、子どもの遺体でも何でもいいからウソの投書をして、捜査を攪乱してくれ。そうしたら金を出すと言われた」〉(『オウム法廷』④)

この供述を、捜査員は信用してしまう。しばらくして、横浜法律事務所に神奈川県警から連絡が入る。

「例の手紙ですが、差出人がわかりました。悪質ないたずらだと、厳しく説教しておきましたから」

千慮の一失。

連絡を受けた弁護士は、いたずらの主が誰なのか聞き返さなかった。

3人の遺体が見つかったのは、6年近くあとのこと。地下鉄サリン事件をきっかけに、オウム真理教に対して大規模な強制捜査が行われ、岡崎がようやく自供を始めてからだ。

龍彦ちゃんの遺体は、地図が示した場所のすぐ近くから発見された。地図が正確なのも当然で、岡崎は、そこに龍彦ちゃんを埋めた張本人だったからだ。しかも手紙を送るに際し、山口県宇部市から長野県大町市の現場を再度訪れて確かめ、ビデオや写真まで撮っていたことも明らかになる。