「身近な危険」を排除したい治安意識
普段なら冷静にふるまえているはずの人でも、本件容疑者の男には同様の態度を示せているとはかぎらない。それは上述したような「正義の暴走」「ただしい側にいたいという不安」ですべてが説明できるわけではない。
各メディアで大きく伝えられたことから世間的な「怒り」が喚起されていることに加え、自動車を利用して日常生活あるいは仕事をする者であれば、だれもが一度は被害を経験するほど「あおり運転」がきわめて身近な存在であるという点も無視できないだろう。「自分の身に降りかかりうる危険を、この機会にしっかりと排除するべきだ」という治安意識によるものも少なくはないだろう。
内閣府「令和元年版交通安全白書」によれば、高速道におけるあおり運転の摘発件数は2017年が6139件だったものが、2018年には1万1793件にほとんど倍増している。言うまでもないが、摘発件数の急上昇はあおり運転がわずか1年間で急増したためではなく、これまで身近な存在だった危険行為の認知度が上昇したことが要因だ。
「悪人」イメージにぴったりの男が現れた
「あおり運転」は、これまでだれもが日常で感じうる危険であったがゆえに、これに対する怒りは多くの人に共有されていた。人びとが音もなくしかし着実にため込んでいた「静かな怒り」を一気に噴出させるきっかけとして、今回の犯人はうってつけの人物だった。
というのも、「あおり運転をするような奴は、自分勝手で、乱暴で、他人の生命を危険にさらすことを何とも思っていない悪人に違いない」という人びとのイメージにまさしく一致する、画に描いたような男が映像付きで現れたからだ。
「私たちは、この男のような狂暴で身勝手な人間に、毎日脅かされているのだ。そんなことはあってはならない」と、多くの人がわが身に起こったことのように共感した。「正義を求める不安な人びと」と「危険にさらされる怒れる人びと」――思惑の異なる両者ではあるが、偶然にもひとつの出来事によってその声が合わさり、増幅されたことで、事件および容疑者へのバッシングをより激烈なものにしている。