大学の階層的なイメージを生産したのは塾予備校業界だけではない

自己弁護・責任転嫁と受け取られてしまうかもしれないが、大学の階層的なイメージを生産してきたのは塾予備校業界だけではない。

『サンデー毎日』2019年3月24号

考えてみてほしい。例えば進学校といわれる高校の多くは、難関大学への進学実績のアピールに躍起だ。とりわけ中堅進学校でその傾向は顕著である。あるいは、「高校別・東大合格者ランキング」や「早慶MARCH・進学実績一覧」といった特集は週刊誌の人気企画だ。

それは企業も同じだろう。SNSの普及により就職活動における「学歴フィルター」の存在が可視化されるようになった。例えば、世間的に認知度の低い大学から説明会に申し込んだら「締め切り」と言われたのに、有名大学の学生にはエントリーが許可された、といった話がたびたび投稿されているのだ。

旧弊を打破するためには、僕ら予備校業界の人間はもちろんのこと、学校も、そして世間も、さらには企業も、皆でこうしたイメージを変える必要がある。

今年度、僕が出講している校舎では、受験の結果を校舎内に貼り出す「合格短冊」を、いわゆる「ランキング順」ではなく、「大学名の五十音順」で並べていた。ささいな試みかもしれないが、こういった取り組みを、もっと広げていくべきだと強く願うのである。

そして、ここで大きな意味を持つことになるのが、高校生や受験生が、どのような観点から志望大学を決定するか、あるいは、親や教師や予備校のスタッフが、どのような観点からわが子や生徒に受験する大学を勧めるか、という点である。

これまでは、大学ランキングに基づいて、自分の成績で目指せる範囲の大学で最も上位の学校を第一志望に考える、という選び方がメジャーであったはずだ。けれども、そのような選び方、勧め方が続く限り、残念ながら大学の階層的イメージは、いつまでたってもなくならない。それどころか、より強化されていってしまうだろう。

「大学は、先生で選べ!」

それならば、どう選ぶか、どう勧めるか?

僕が言いたいのは「大学は、先生で選べ!」ということだ。生徒自身が学びたい分野で活躍する教授や講師が所属する大学の授業に出られるというのは、本当にエキサイティングなことであるはずだ。大学の〈名〉や〈ブランド力〉などではなく、自分の学びたいジャンルで活躍する研究者がどの大学のどの学部で教鞭をとっているのか。高校生や受験生、保護者、教師、僕ら塾予備校の講師や教務スタッフが、そういった観点にもっと敏感になり、たくさんの情報を集めていく。