自分が無価値なら他人も無価値であるべき
『文藝春秋』(2015年5月号)は、神戸家裁が少年Aに「医療少年院への送致」を命じた審判「決定」の全文を掲載した。その一部を抜粋する。
〈「一連の非行時における少年の精神状態、心理的状況」
1.年齢相応の普通の知能を有する。意識も清明である。
2.精神病ではない。それを疑わせる症状もなく、心理テストの結果もそれを示唆する所見がない。
3.性衝動の発現時期は正常であるが、最初からネコに対する攻撃(虐待・解剖)と結び付いた。その原因は分からない。自分の中にありながら自分で押さえられないネコ殺しの欲動を魔物と認識し、その人格的イメージに対し、酒鬼薔薇聖斗と名付けて責任を分離しようとした。
4.ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した。現実に他人を攻撃すれば罰せられるため、性衝動は2年近く空想の中で解消されていたが、次第に現実に人を殺したいとの欲動が膨らんで来た。
5.他人と違い、自分は異常であると分かり、落ち込み、生まれて来なければ良かった、自分の人生は無価値だと思ったが、次第に自己の殺人衝動を正当化する理屈を作り上げて行った。
6.それは、自分が無価値なら他人も無価値であるべきである。無価値同士なら、お互いに何をするのも自由で、この世は弱肉強食の世界である。自分が強者なら弱者を殺し支配することも許されるという独善的な理屈であった。
「現在の少年の状況」
〈被害者らに済まなかったとは思わない。償いをしたいとも思わない。もともと何時か捕まって、人を殺した自分も殺される(死刑になる)と思っていた。社会復帰なんかしたくない。このまま施設内の静かな場所で早く死にたい。
殺した二人の魂が体内に入り込んで来ていて、毎日3回位、1回40秒位、腹や胸に食い付く。締め付けるように痛い。今に自分の身体が食い尽くされる。非常にしんどく苦しいが、自分が死ぬまで出て行ってくれないだろう。〉
両親に手記を書かせた女性記者
Aの両親との面会を実現させた森下香枝さんは、「あきらめの悪い」記者だ。
いったん取材相手に食らいついたら、ひるまない、引き下がらない、絶対にあきらめない。猪突猛進というか、エネルギーの塊というか、走り出したら止まらない悍馬(かんば)のようだ。
嚙みついたら放さないのは、実家で土佐犬と一緒に育てられたからだ、という噂もあったが、真偽は不明。まだ27歳の女性記者で、大阪の『日刊ゲンダイ』から移ってきて2年目くらいだったと思う。
持って生まれた事件記者の資質が、『週刊文春』で開花したのだろう。少年Aの事件の後も、「和歌山毒物カレー事件」や、猛毒トリカブトで話題になった「埼玉連続保険金殺人」など、数々のスクープを飛ばした。
その後、朝日新聞社に移籍。週刊誌の記者が全国紙に引き抜かれることなど、めったにない。新元号「令和」が発表された日、『週刊朝日』編集長に就任した。
忘れられないエピソードがある。
週刊誌の目次や新聞広告をつくるとき、その週の最大の目玉記事を一番右に置く。これを「右トップ」と呼ぶ。次の売り物は一番左で、「左トップ」だ。スクープを取ってくると、「これは当然、右トップですよね」とアピールしてくる記者もいる。