密かに「国家存続の危機」を待ち望んでいた

不遇の時代が続いたチャーチルが不死鳥のようによみがえる姿は、ことさらジョンソンの想像力を刺激したに違いない。

1930年代末、政治的に干されてきたチャーチルが入閣を果たし、40年には首相になった時、英国は国家の存続が脅かされる危機状態にあった。ナチス・ヒトラーが台頭し、英国が欧州他国のようにナチスに倒されてしまうかもしれなかった。ナチスの脅威を早期から指摘し、従軍経験を持ち、いざとなったら大きな決断ができる人物は、チャーチルしかいなかった。

ヒトラーと交渉することで英国を存続させようと主張した外相ハリファックス卿とその支持者たちを前に、チャーチルは「自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで」戦うことを主張し、断固として交渉しないと誓った。

チャーチルの「鶴の一声」で内閣が、そして英国が一丸となり、5年後の連合国軍の勝利につながってゆく。

チャーチルを敬愛するジョンソンからすれば、自分にも、大きな飛躍をするための「危機」が必要だった。国家の存続を揺るがすほどの大きな危機だ。いまや、英国が国家を総動員して戦争に関わる見込みはない。

しかし、3年前、英国の将来を決める大きな決断の時が誕生した。これがブレグジットだった。

首相になる道は永遠に閉ざされたはずだった

ジョンソンは離脱派勝利の立役者となったが、さらに大きなチャンスがめぐってきた。国民投票の結果が出た直後、EU残留派を率いたデービッド・キャメロン首相(当時)が辞職を表明したので、党首選が行われることになったのだ。

しかし、党首選への立候補を予定していたまさにその日、同じく離脱運動の中核をなしたマイケル・ゴーブ(当時司法大臣)がジョンソンを、いわば「後ろから刺した」。ジョンソンを支援すると言っておきながら、自らが立候補宣言をしてしまったのである。ジョンソンは涙ながらに立候補を取りやめた。

首相になる道は永遠に閉ざされたかに見えたが、新首相テリーザ・メイがジョンソンを外務大臣に指名したメイ内閣の下、ブレグジット交渉が大難航すると、ジョンソンはさっさと外相を辞任。今年3月29日に予定されていたEU離脱が実現できずにメイ首相が辞任すると、待っていましたとばかり保守党党首選に躍り出るのである。

戦争とまではいかないが、ブレグジット交渉の行き詰まりという、3年前よりもさらに大きな危機に乗じたのである。