いきなり「新宿に出てきてください」の試練

「いちばんびっくりしたのは、日本は停電しないってこと。それから蚊帳を使わなくてもいいことにも驚きました。野良犬はいないし、街はきれいで、自動改札とか自動販売機とか、自動化が進んでいる。なにもかも違う、と思いました」

語学学校に通い、安全な環境で勉強できるようになったとはいえ、故郷ではないのだ。不安も大きかった。当時はまだ、日本語もおぼつかない。

そんなマヘーマーさんに、落合さんは試練を課す。

「はい、これから新宿に出てきてください」

室橋裕和『日本の異国: 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)

などと、いきなり連絡してくるのだ。漢字は読めない。落合さんに書いてもらった「新宿」という文字の形を必死に券売機の画面から探す。切符一枚を買うこともたいへんだった。乗換えやら、日本人にだって複雑な駅構内のダンジョンやらを乗り越えて、待ち合わせ場所にたどりつかなくてはならない。日本で生きていくための特訓だった。

その甲斐あってか、マヘーマーさんの日本語はめきめきと上達し、日本社会にも慣れていく。落合さんいわく、

「当時からすでに、高田馬場はミャンマー人が多かったですね。ミャンマー料理のレストランもいっぱいあった。ミャンマー人がやっている美容院もあったので、彼女に勧めたんですよ。やっぱり髪は同じミャンマー人にカットしてもらったほうがいいだろうと思って」

こうして「リトル・ヤンゴン」の住民になっていくのだ。

室橋 裕和(むろはし・よしかず)
ライター・編集者
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)など。
(撮影=室橋裕和)
【関連記事】
西葛西にインド人が集中する歴史的な理由
香港独立運動の父「一番心配なのは日本」
イタリア人が日本で必ずイタ飯を食べる訳
なぜ日本の神道と仏教は仲良しだったのか