なぜ稲盛さんはJAL再生を引き受けたか
「京セラの稲盛和夫名誉会長が、日本航空(JAL)の代表取締役会長に就任」。新聞の夕刊やテレビがいっせいに報じた2010年1月13日の午前、私は東京駅に近い京セラ八重洲事業所で稲盛和夫さんにお会いしていた。稲盛さんに長期にわたり密着取材して執筆したビジネス書が出版間近となり、その報告にうかがったのだ。
本題が終わり、昼食を食べながら雑談しているうちに話題は自然にJAL会長就任問題へと移った。稲盛さんは「JALにはいい印象がなかったのだけれど」と打ち明け、こう続けた。
「実はJALの若手社員たちから手紙をいただいてね。JALを変えたい思いや私と一緒に働きたい気持ちが率直に綴られていて、いろいろ考えたけれど『そうか、そういうことなら』と」
「引き受けるのですか!?」
「引き受けようと思う」
迷いも力みもないその言葉の響きを私は今でもよく覚えている。稲盛さんのこれまでの生き方・働き方からすれば、JALの再建という困難への挑戦は必然とも言える決断なのだなと、そのとき、胸にすとんと落ちたからだ。
ごく常識的に考えれば、JAL会長就任はありえない選択だろう。稲盛さんは創業した京セラを世界的な企業へと育て上げ、19人の若者たちとともに起業した第二電電(DDI)をKDDIへと成長させた、日本を、いや世界を代表する経営者だ。年齢(当時77歳)からして、あえて火中の栗を拾う理由などどこにもない。しかも同年同月に会社更生法の適用を申請したJALの負債総額は事業会社としては戦後最大規模の2兆3000億円超、官僚的な体質や複数ある組合が再建の障壁になる事態も予想された。
にもかかわらず稲盛さんが会長就任を受諾したのは、JALという日本のナショナルフラッグ・キャリアの再建が顧客や従業員、ひいては社会全体にプラスになると考えたからだった。1984年にDDIを設立した動機も、電電公社(現NTT)の対抗軸をつくり通信料金を安くしたいからで、その動機が純粋なものかどうか、稲盛さんは数カ月間「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問い続けたのだった。