「泣くこと」は気分を浄化してくれる
「泣くこと」は、落涙を特徴とする生得的な感情表出行動であるが、情動調整機能を有しており、カタルシスとよばれる気分の浄化現象がみられることが知られている。ひとしきり泣くだけ泣いたら、気持ちが少し晴れるかもしれない。大人が泣くことは、ストレスに対する幼く消極的な対処方法として否定的にみられがちであるが、人間が生まれながらに身につけている有効な機能であるともいえる。
気持ちを受けとめてくれる人が身近にいれば人前で泣くことも悪くないが、必ずしもそうする必要はない。他者の前で泣いた場合とひとりのときに泣いた場合で、泣いたあとの気分の改善度に違いはないとの研究報告もある(澤田他/2012)。人目を気にせず思いきり泣ける場所を探してみるのも一つの方法だろう。
夫を亡くした60代の女性の場合は、元気でなければいけないという雰囲気がなんとなくあって、子どもや周囲の人の前では泣けないという。まわりの人からは「しっかりしているね」と言われるが、無理して気丈にふるまっているだけで、一人で墓参りをしては涙を流しているそうである。周囲の人に見せている顔と、ひとりのときの顔は違うのである。
なお、よくいわれる「泣きたいときは泣いたらいい」は正しいが、泣けない苦しみがあることも理解する必要がある。無理に泣く必要はないし、泣けない自分を責める必要もない。泣くことは、有益な対処方略ではあるが、泣かなければいけないわけではない。
怒りを感じたらクッションを叩いてもいい
怒りとうまくつきあうことも大切である。重大な喪失に直面したときによくみられる悲嘆反応として、怒りを感じたり、イライラしたりしやすくなるかもしれない。理不尽な現実に対してやり場のない怒りを感じることは特別なことではなく、心のなかに閉じ込めなくてもいい。
とはいえ、怒りは人を遠ざけ、トラブルに発展する可能性もある。親を亡くした子どもの場合では、死を前にした無力感や怒りの感情が攻撃的な言動や非行という形で現れることもある。簡単なことではないが、信頼できる人に怒りの気持ちを聞いてもらったり、気晴らしをしたりするなど、怒りを自分なりにコントロールできるように対処することが望ましい。許される範囲で、大声をあげたり、物を投げたり、クッションを叩いたりなど、怒りを身体で表現することでも緊張が少しほぐれるかもしれない。
関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授
1973年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。専門は死生学、悲嘆学。死別後の悲嘆とグリーフケアをテーマに、主に心理学的な観点から研究・教育に携わる一方で、病院や葬儀社、行政などと連携してグリーフケアの実践活動も行っている。主な著書は、『悲嘆学入門』(昭和堂)、『死別の悲しみに向き合う』(講談社現代新書)など。