タトゥーを「反社会性」と結びつけて批判する

例を挙げると、在特会(在日特権を許さない市民の会)のヘイトデモに対するカウンターとして、レイシストをしばき隊(通称しばき隊)の行動が、おおむね2013年ごろから活発となった。「しばく」とは、関西弁で「殴る、蹴る」を意味し、その名の通り在特会などのヘイトデモやヘイト街宣を封殺するため、「しばく」ことも辞さないという姿勢をとった。

ネット右翼は当然この「しばき隊」に強い反発を抱くわけだが、その反発の根拠として、「しばき隊」の人々の一部が両腕にタトゥーを入れた写真を引用して、彼らを「反社会的勢力」と断じたことにある。

筆者は自衛のためやむを得ない場合を除いて、いかなる暴力活動にも反対の立場を採るので、当時「しばき隊」が行っていた積極的なカウンター活動を支持するものではない。

しかし注目したいのは、彼ら「しばき隊」を忌避するネット右翼が、「しばき隊」のタトゥーに代表される身体性の毀損を、反社会性と結び付けて批判していたことであった。

儒教的世界観を頑なに保持する「高齢化したネット右翼」

現在、タトゥーは西欧圏では日常的に受け入れられており、東南アジア圏でも日常化しつつある。ところが日本、韓国、中国など儒教文化圏では、「親からもらった体に傷をつけるとは何事か」という根底意識が強く、日本では現在でもタトゥーを公の場で晒すのは禁忌とされ、公衆浴場やプールでは入場拒否看板が堂々と掲げられている。「身体性の純潔と潔癖」は、日本が近世から持つ特有の儒教的世界観だが、そういった観念も、もはや若い世代では形骸化しており、日本の青年層にはタトゥーを入れる事に抵抗を持たない人々が多い。

すでに述べたように、ネット右翼は40歳から50歳のミドル・エイジを中心とした人々のため、こうした身体性の毀損に抵抗のない若い世代の価値観を受け入れることができないのである。

近年では、「儒教」をキーワードに、中国と韓国を呪詛する書籍がにわかヒットする状況が生まれている。だが、何のことはない、日本も近世以降儒教国家の一員だ。その旧い儒教的世界観を頑なに保持しているのは、当の高齢化したネット右翼自身であった、という笑えないオチなのである。