どんなに賢い人でも「バカになる瞬間はある」
私は、もともと極めて賢かった彼らは「自分がバカになることへの対策やケアをしていない」と感じる。
長年大学受験の指導をしていてわかったことがある。それは、本来成績がとてもよい人が志望校に不合格になる場合、その主因は試験当日、突然「バカ」になるということだ。つまり、プレッシャーや不安によりケアレスミスをし、ありえない失点をするのである。
実は、これらはある程度は事前対策が可能なものである。
たとえばミスについては、過去に自分がおかしたケアレスミスを書き出して、どうすれば防げるかを考え、そのトレーニングを事前にやっておけばいい。試験場でパニックにならないようなメンタルトレーニングなども、本やネットで簡単に探せるだろう。
しかし、結果的に不合格となる賢い受験生たちはそういう対策をやっていないのが実情だ。自らの力を過信し、墓穴を掘ってしまうのだ。
アメリカの経営者やエグゼクティブの人たちの多くが、自分の精神科医やカウンセラーを持っていることはよく知られている。メンタルヘルスのためだけでなく、不安や怒りの感情が判断を歪めるという経験則から、それを防ぐために、自分の心理状況をモニターしたり、改善したりする目的があるのだ。要するに、頭も体もメンタルも劣化するものと認識し、その「防御」にお金と時間をかけているわけだ。
確実に言えることは、どんなに賢い人でも、「バカになる瞬間はある」ということだ。AIでなく人間である以上、そうならないということはあり得ない。前述したように、怒りや不安という感情の渦に飲み込まると、利口な人であってもバカ化することがある。
自分は賢いという知的傲慢や、勉強不要という知的怠惰
また、いくら東大卒であろうが、東大教授であろうが、大学を出てから、あるいは教授になってから、ろくに勉強しないとバカになるのも当たり前の話である。学問が日進月歩の今日ではよりその傾向が強いだろう。私は医学の世界に身をおいているが、今でも10年くらい前の治療理論や技術に固執する医者が多いのを見ると、このことを痛感する。
これも自分は賢いという知的傲慢や、勉強なんかしなくても大丈夫という知的怠惰が賢い人をバカにしていると言える。
実は私の勉強や知的活動の原動力は、より賢く進化していきたいというポジティブなものではない。むしろ、バカになりたくないという「バカ恐怖」がエネルギーになっている。
人は加齢とともに心身が老化・劣化し、不具合や誤作動を起こすことがある。そして、それが人によっては社会的生命の命取りになることもある。
だが、そうした危機感や自覚を少しでも持てば、知らず知らずのうちにバカになってしまうという失態を防ぐことができる、ということを精神科医としてぜひ伝えたい。本連載では今後、賢い人間をバカにしてしまう事例を取り上げ、その原因を解説していく。