メイ首相が持ち込んだ離脱協定案をことごとく否定したイギリス議会も「合意なき離脱」は避けたいらしく、3月13日に「合意なき離脱」を拒否する動議を可決、さらに翌日リスボン条約第50条を延期する動議も可決した。

具体案を持たずにブリュッセル(EU本部)まで出かけてそのまま会談を拒否されて帰ってきたり、ようやくまとめた離脱協定案を議会に拒否されたり、議会に拒否された案の修正に固執したりと、絵に描いたような迷走を続けてきたメイ首相だが、結局は3月29日の見切り発車は不可能と判断してEUに離脱延期を申し入れた。

英国民はEU離脱がこれほど大変だとは知らなかった

EU側はイギリスの求めに応じて、離脱協定案が議会で承認されれば5月22日、承認されなければ4月12日まで離脱期限を延期することを決定。これによって3月29日ブレグジットは完全に消えた。

その3月29日、メイ首相は「採決されれば辞任する」と自らのクビをかけて3度目の離脱協定案の議会採決に臨んだが、これも否決。4月12日の期日が迫った4月に入って、メイ首相はEUに離脱の再延期を要請した。

EUは臨時首脳会議を開催してイギリスの離脱日を10月31日まで再延期することで合意、イギリスもこれに同意した。「合意なき離脱」はひとまず回避された格好だが、離脱協定がイギリス議会で可決される見通しはいまだに立っていない。合意文書では5月に行われる欧州議会選挙にイギリスが参加しなければ、6月1日が離脱日とされている。その場合、5月22日までに離脱協定案が可決されなければ、再び「合意なき離脱」のリスクにさらされるのだ。

イギリスの国民の多くは国民投票をした時点でEU離脱がこれほど大変だとは知らなかった。今頃になって離脱をけしかけたジョンソン前外相やファラージ前独立党党首らの無責任ぶりを非難する声が聞こえてくるが、国民投票のときは「移民や難民が雇用を奪う」とか「ブリュッセルの指図なんて受けたくない」といった声が圧倒的で、EUにとどまるメリットを語る人は少なかった。