落語家が修行期間に得るもの

考えてみれば、落語家の修業も身上も、「待つこと」にあるのかもしれません。落語家がほかのお笑い芸人と一線を画すのは、養成システムである前座修行の期間です。

落語家は、入門してすぐに落語を自由にやらせてもらえる身分にはしてもらえません。まずは「見習い」からスタートします。やがて芸名が付けられて、「前座」という身分になります。これは寄席や落語会などで開口一番というトップバッターを務める立場ですが、彼らの主たる任務は、師匠の身の回りの世話や、楽屋で先輩方の着物を畳むなどの労働力の提供であり、好き勝手な活動が許されているわけではありません。あくまでも「滅私奉公」にその存在意義があります。

立川流の場合ですと、「落語50席プラス歌舞音曲」を談志が認めたら「二つ目」となり、さらに「落語100席プラスさらなる歌舞音曲」をクリアして「真打ち」というランクに上がります。

私の場合、前座から二つ目昇進に上がるまで、9年半という長い期間を要しました。これは談志の望む歌舞音曲を身に付けられなかったことが原因ですが、今振り返ってみるとこの期間は、談志が「待っていてくれた時間」だったともいえます。

「お前は俺がこっちに来いというのに向こうに行っちまう奴だった。でもそんなムダが今、芸の幅につながっているな」

これは14年かかって真打ちに昇進した時に談志から言われた、最高の褒め言葉でした。

談志だって昔は耐えてきた

これがお笑い芸人の場合ですと、「10年経って芽が出なかったら辞める」といった言葉をよく聞きます。待つのが前提で成立しているわれわれの世界とは対照的といえます。

談志にしても、世間からすれば気が短く、何にでもすぐかみつくイメージがあると思います。しかし、立川流を創設し、その後の落語界をけん引する志の輔・談春・志らくという弟子たちが出てくるまでは、長期にわたって「忍」の一字で耐えてきたはずです。

きっと、正しいと思った道を貫く談志の信念は、「待つこと」で醸成されていったのでしょう。芸も筋肉もすぐに結果は出ません。ともに待つことが前提となる、長期戦思考で取り組むべきものなのです。

こう考えてみると、もともとこうした環境に身を置き、「待ち時間」に慣れていた私が筋トレにハマるのは必然だったのかもしれません。実際、元来は短気だった私ですが、筋トレを始めて以降、「おおらかになった」と家族や周囲からよくいわれるようになりました。「じっくり待つことで身に着けた筋肉」が、私に自信を与えてくれたのでしょう。