おせっかいを焼く「お隣さん」的なセーフティーネットの欠如
人は誰かに善行を施すために生きるもの――。海外に行くと、こう考えている人が本当に多いことに驚かされる。
イギリスでもアメリカでも、若者からお年寄りまで、男性でも女性でも移民でも、自分の体と頭が動くうちに、その力を惜しみなく他者のために使うべきだという考えで、ボランティアや寄付、社会貢献といったものが、通勤電車に乗るように日常に組み込まれている。
その支えあいの仕組みは、宗教的価値観などから来るところもあるだろうし、国家の福祉の脆弱さを補う形で生まれてきたところもあるかもしれない。
ある意味、日本は制度的に見れば、医療、保育、教育、社会福祉、児童福祉など、どれをとっても、北欧など一部の国を除いた多くの国々より充実している。そうした施策が手厚いからこそ、国や家庭に代わる市民同士の支えあいの仕組みが育ってこなかったという側面はあるかもしれない。だから、助けの必要な人々に手を差しのべ、おせっかいを焼いてくれる非営利の市民団体などの「お隣さん」的なセーフティーネットが圧倒的に不足している。
例えば、アメリカでは離婚、DV、ホームレス、ありとあらゆる問題に対応する民間団体の動きが活発で、その数は150万にも上る。NGOは1230万人、つまり、全労働者10人中1人の雇用を生み出す一大産業でもある。そうした活動を通して、他人を支えるために、多くの市民が自分の時間や力を喜んで差し出す。そして、自分が弱者になったときには、遠慮なく支えてもらう。そういった「支えあい」の意識が根付いている。
世の中で最も成功するのは「Giver(人に惜しみなく与える人)」
一方の日本は、税金を払っているのだから、何かあったら国が何とかしてくれるべきである、もしくは、家族に頼るという発想だが、国の借金が膨れ上がる中で、この先、どこまで面倒を見てくれるのかはわからない。単身世帯も激増している。現行の福祉制度が立ち行かなるのは火を見るより明らかだ。
ニッセイ基礎研究所の会長だった故細見卓さんはエッセイでこうつづっている。
「日本の温かさとか紐帯というものは、非常に限られたいわゆるタテ社会に存在するものであって、そこに属していない人に対しては非常に冷たいというか極端に無関心という面を持っているように思われる。(中略)色々な条件で環境に打ち勝つことができずに敗者となったものでも、何回かの再挑戦をさせる機会を与えているかいないかが温かい社会と冷たい社会を分けるのであって、その意味では日本の社会は冷たいと言わざるを得ない」
弱者を見殺しにする冷たさ、多様性を認めぬ冷たさ、敗者を排除する冷たさ。人と人とのつながりが希薄化する中で、凍り付いていく社会。今、ここで、大きく舵を切らなければ、日本は氷河期へまっしぐらだ。
アメリカのペンシルバニア大学ウォートン校のアダム・グラント教授によれば、人は3つのタイプに分かれるという。
「Taker(真っ先に自分の利益を優先させる人)」
「Matcher(損得のバランスを考える人)」
このうち、最も成功を収めるのはほかならぬGiverなのだそうだ。日本に足りないのはこの「Give」の発想なのかもしれない。多くの人が持っている、人の役に立ちたいという「Give」の思いが行き場を失っている。閉じ込められた思いを解き放ち、生かし、活力に変える教育や仕組みづくりを急ぐべきではないだろうか。