最適通貨圏の理論が問題視している状況は、固定為替相場制度の下、あるいは、通貨同盟の下、当該国の間で異なる経済ショックが発生したときに、為替相場の変化によって調整することができないということである。例えば、原油価格が上昇するというオイル・ショックは、原油産出国の経済にはプラスの影響を及ぼす一方、原油輸入国の経済にはマイナスの影響を及ぼす。実際問題として、EU域内の諸国においては、北海油田を抱えるイギリスとその他の国との間では、オイル・ショックは異なる影響を及ぼす。このような状況において、為替相場を変動させることなく、これらの国々の間の経済の調整を行うには、ほかの経済手段が必要である。マンデル教授は、異なる経済ショックによって、ある国で好景気となり、一方、他の国で不況となった場合に、不況の国で失業している労働者が好景気のために労働者不足となっている国に自由に移動することができれば、異なる経済ショックに対して両国で調整することができることを理論的に明らかにした。このように国境を越えて労働者が自由に移動することによって異なる経済ショックに対する調整が可能となることから、労働の移動性の高い国同士で、固定為替相場制度あるいは通貨同盟を採用するとよいということになる。

確かにEU域内ではEUパスポートとしてパスポートが一本化され、さらに、シェンゲン協定を締結しているほとんどのEU諸国間においてはパスポートの国境検査なしで出入国をすることができる。このような状況においては、労働者は自由に移動することができるといえよう。労働の移動性の視点から、EU域内においては最適通貨圏の条件を満たしているので、固定為替相場制度、さらには通貨同盟を採用することが可能としている。一方、現段階において、EU域内ほどに労働の移動性が確保されている国々は全世界でそれほど多くはない。このことは、全世界で固定為替相場制度あるいは通貨同盟を導入することが難しいことを意味する。したがって、世界全体を想定した場合には、為替相場の安定性およびその貿易・直接投資への効果の視点から固定為替相場制度が望ましい為替相場制度だとしても、最適通貨圏の視点から労働の移動性が十分ではないので為替相場の変動による調整が必要となる。

このように、現段階では、世界全体で、一つの通貨、例えば、ドルに固定するという固定為替相場制度を採用することは困難であり、世界全体で単一共通通貨を導入することはさらに難しい。むしろ労働の移動性に従って世界の各国が複数の通貨に固定するという固定為替相場制度が採用されることがより現実的である。実際に、ドルに為替相場を固定する国々、さらにはドルを一方的に自国通貨として流通させている国々が存在する一方、ユーロを導入して、ユーロ圏を形成する国々(EU16カ国)およびユーロに為替相場を固定する国々が存在する。