なぜ学習院大学を中退して、国際基督教大学に進んだのか
『文春』の全体のトーンは、それほど厳しいものではない。学習院初等科の時にはフィギュアスケートに熱心に取り組み、小5の時には東京都スケート連盟主催の「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」で優勝したことなどを紹介している。
佳子さんは学習院大学に通っていたのに中退して、姉の通っている国際基督教大学のAO入試を受験し、合格している。
その際、学習院側は、子どもの教育に関心を寄せていた佳子さんのために、小学校教員を養成する教育学科の開設を前倒しして環境を整えていたのにと、ガッカリしたという。
そこから秋篠宮家の教育方針についての批判につながるのである。
「もし眞子さまが学習院大学に進学されていたら、横のつながりも緊密ですから、小室家の借金トラブルのような何らかの問題が入ってきやすいのは間違いない」(皇室ジャーナリスト)
ICUで学び、「二度とない人生をいかに生きるのか」と考えた
私は、そうした考えには与しない。ICUに入ったからこそ、佳子さんのように、皇族である前に一人の人間として考えるという精神が養われたと思うからである。
ICUのウェブサイトには、日比谷潤子学長の挨拶文「生きることの課題を求めて」が掲示されている。そこにはこうある。
二度とない人生をいかに生きるのか。そう考えれば、おのずと姉の結婚問題も、前述したような結論になるはずである。
『文春』は皇室ジャーナリストの山下晋司にこう言わせている。
「皇族は『国民とともに歩む』存在であり、ご結婚には公的な側面が絡んでくるのも事実です。例えば、結婚に伴なって国庫から一億円以上の『一時金』が支給されます。佳子内親王殿下は、そのことについてはどのようなお考えなのか、気になりました」
小さいことを気にするものだ。佳子さんなら、それだったら私はもらいません、そう言うに違いない。「俺たちの税金を小室圭なんかにやりたくない」などと、多くの国民が思うだろうか。それに結婚は庶民にとっても公なものである。皇室だけが特別ではない。