「モノより心」という構図の欺瞞

メディアにありがちなもう一つの善悪二元論が、「モノより心」的な設定である。自然の食品がいいとか、自然の農業がいいとか、自然エネルギーがいいとか――。成長よりは環境、モノよりは心といった具合に、効率性や経済成長を悪いかのように見る傾向は、記者のDNAに遺伝子のように組み込まれている。

新聞記事やNHKの番組では、若者が未来を託す農業はたいていの場合、有機農業である。収量や収入よりも、ゆったりとした時間、自給自足に近い生活、自然の中でのびのびと環境に合った小規模な農業が理想として描かれる。大規模な農業で年収1000万円を稼ぐ若者の話は、記者には人気のないネタである。

自然農法を試みる若者がいてもよいだろうが、それが日本全体の農業を強くするとは到底思えない。地方で家族を育ててゆく、これからの若い世代にとって、収量の少ない有機農業(もちろん高収入の例もあるだろうが)がよきお手本になろうはずがない。個人がどんな人生観をもとうが自由だが、反成長主義や反経済の論理では、日本の将来は暗い。しかし、その暗い未来をよいことのように描くのがいまの記者たちである。

「モノよりは心」といった生き方を本などで主張している人はたいてい裕福な学者、評論家、民間企業に勤めていない人に多い。民間の経済の現場で「富」を生み出すのがいかに大変かを身をもって経験している人は、簡単に「モノより心」とはいわない。「心」重視の学者なら、きっと心も豊かなはずで、お金もそれほど必要ないはずだから、ご自分の退職金の半分を福祉などに寄付してもよさそうだが、そういう話を聞いたことはない。もしいたら、ぜひ教えてほしい。

「資源小国」日本の宿命

日本の今後の将来を考えるうえで欠かせない思考は、日本は「資源小国」だという認識である。日本の食料自給率が低いことはよく知られているが、エネルギーの自給率が6~7%しかないことは、あまり知られていない。ふだんはニュースにもならないが、北海道の大停電でわかったように、エネルギーがなくなれば、そもそも生活が成り立たず、機械や肥料などを使う農業も立ち行かなくなる。

火力発電の燃料などに使われる天然ガスや石油などの化石燃料を輸入するのに、年によって変動はあるものの、年間約25~28兆円もかかっていることは、もっと知られていいはずだ。30兆円近いお金をどう生み出すのか。それが国家的に見た民間企業の仕事である。