あなたは事実を歪曲した「トンデモ歴史本」に騙されてはいないか。現代史家の大木毅氏は「日本では、“狭義の軍事史”は研究者が手を出さず、サブカルチャーでのみ扱われているため誤りが放置されている。今回、ドイツでもっとも有名な将軍であるロンメルの伝記を書くにあたり、いわゆるミリタリー本での扱いもチェックしたが、事実を歪曲したものが少なくない」と指摘する――。
2008年12月、ドイツ南部シュツットガルトにある歴史博物館で開催された「ロンメルの神話」展の様子。(写真=EPA/時事通信フォト)

日本史なら訂正されるが、軍事史は歪曲が放置される

近年、ためにする「歴史書」が氾濫(はんらん)している。

「コミンテルンの陰謀」といったたぐい、あるいは『日本国紀』など、それらはあらかじめ決まった結論、それも、ほとんどは政治的な党派性に沿った結論に向けて、恣意的に史実を抜き出して立論するものだ。当然のことながら、歴史学の論証手順を無視したもので、いわゆる「トンデモ本」のたぐいである。

もっとも、さすがに自国史である日本史の分野では、かかる流れに対し、謬見(びゅうけん)を指摘、誤りを訂正して、前述したような書物の悪影響を食い止めようとする動きがみられる。国際日本文化研究センターの助教で、広く読まれた『応仁の乱』(中公新書)の著者である呉座勇一氏などは、その代表であろう。

ところが、外国史、なかんずく戦史・軍事史の理解となると、事態はより深刻である。ここでは、ドイツ軍事史を例として論じることにするが、敢えていうなら、1970年代から80年代のレベルにとどまった言説が、大手を振って、まかりとおっているのだ。

アカデミズムでは軍事を扱わないという慣習

拙著『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(角川新書)は、第二次世界大戦で輝かしい働きをみせながらも、ヒトラー暗殺計画に関与したかどで服毒自殺を強いられたエルヴィン・ロンメル元帥の小伝であり、その生涯をたどることを第一義とした。しかしながら、こうした伝記を書くことを思い立った動機の一つは、上記のような惨状にある。

これは、ある程度、日本の特殊事情がなせるわざだった。まず、アカデミズムでは軍事を扱わないという慣習がある。この不文律は、太平洋戦争に敗北したがための戦争・軍隊嫌悪から来たものと思われがちだが、必ずしもそうではないようだ。アカデミシャンのあいだには、戦争や軍事は本職の軍人が研究するものだという暗黙の了解があり、大学に国防学研究所(立命館大学)が設置されたのも、戦争中の一時期にすぎなかったのである。