人は認知症になったら、記憶力や注意力など、さまざまな能力を失う。しかしそれは、「その人」ではなくなることを意味するのだろうか。脳科学者の恩蔵絢子氏は、認知症の母と向き合った2年半の経験を『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)にまとめた。恩蔵氏は「認知症になっても、その人らしい『感情』は消えない」という――。

認知症になると、「その人」ではなくなるのか?

記憶を失うと、その人は「その人」でなくなるのでしょうか?

アルツハイマー型認知症になると、海馬の萎縮の影響で、今まで得意だったことができなくなってしまいます。例えば大工さんだったら大工仕事をできなくなる、あるいは、コックさんだったら料理ができなくなります。それは確かに、「その人らしさ」が大きく減ったと感じられても、仕方がないことではあります。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

しかし、そのような「能力」や「記憶」だけで、「その人らしさ」はできているのでしょうか? 能力や記憶を失ってもなお残る何かがあるのではないか? アルツハイマー型認知症になっても最後まで残るものとは何か? 私は、母親を2年半観察し脳科学の立場から分析していきました。

その人らしさとは何か?

私にとって、母親の「その人らしさ」とはなんでしょうか?

母親はとても活動的な人でした。

そして、母親は他人が困っていると「やってあげようか」と体をすぐに動かす人でした。

自分のことより他人が優先で、例えば、自分がおいしいものを食べたら、私にも食べさせたいと必ず残しておいてくれる人でした。

しかし、母親は、アルツハイマー型認知症と診断された前後、その最初期には、得意だった料理もしないで、一日中ソファに座っているという、無気力状態になっていました。何に対してもやる気を見せなくなっていたのです。

また、驚くべきことに、私が母親を喜ばせようと思って冷蔵庫に入れておいた食べ物(甘く煮た黒豆でした。母親が昔から好きな食べ物です)が、捨てられるという出来事も起こりました。一見、「無神経」「人の気持ちに無関心」ということも起こるようになっていたのです。

最初は理解に苦しみました。しかし徐々に、海馬の萎縮の問題で、料理については、母親は料理技術を失ったのではなく、今何をしているのか「目的を覚えておく」ことができないために、作業が遂行できないのだとわかりました。ですので、一緒に台所に立つなど、こちらの振る舞いを変えてみると、母親は無気力状態から脱出していきました。