異分子を許容しない組織はダメになる
社長補佐という本来の仕事以外に西田は経理も見るようになった。材料の仕入れ、原価計算、工場のそれぞれの工程での歩留まりすべてを計算していった。
イラン現地法人の生みの親である、土光が訪れたことがあった。工場を案内したのは吉田。技術屋出身の土光らしく、工場の一つ一つに熱心に目をやり、技術的な質問を飽くことなく繰り返した。吉田らがつくったイラン人の技術者養成所を土光はことのほか喜んだ。
「イランにこれだけ貢献してくれているとは知らなかった。東芝がやりたかった国際貢献とはこういうもんなんだ」
土光は現地の東芝マンの働きに目を細め、その働きぶりを讃えた。だが、現場を預かる吉田たちは大きな問題を抱えてていた。営々として先輩たち技術者が築き、蓄えてきた東芝の技術、方法がイランでは通用しない。日本から派遣された技術者たちが頭を抱えているのである。
購入したスイスや英国製の機械は日本では使ったことのないものばかりだった。日本では熟練の域に入っている技術者たちが英文の解説書と格闘しながら、一から学ばなければいけなかった。例えば照明の電球。イランの電球のシェア80%以上を占めるようになるのだが、当初は日本ではなんの苦労もなくつくれていた電球ができず、つくっても不良品ばかりができてしまう。
電球のソケットにねじ込む金属部分を口金というが、イランで入手できる原材料を、日本で培ったノウハウでつくってもどうしても“ひび”が入ってしまう。日本では信じて疑うことのなかった東芝の技術をここイランでは、新人技術者のような気持ちで一から取り組まねばならなかった。その意味では創造的な破壊がイランでは行われていたのである。新しいものを生み出すためには創造的な破壊が必要。こうした現場の試行錯誤を西田は目を凝らして見ていたのだ。
ちょうどその頃である。西田が照明工場を見学していると、たくさんの不良品が出ていた。そのことを工場長室にいた吉田に報告した。
「不良品が随分出ているんですね」
すると、吉田は西田にこう聞き返すのだった。「何個(不良品が)出てた? 何分見てたんだ?」。吉田の質問に訝る西田に吉田はこういうふうにいった。
「西田な。企業人というのはな」
そして続けた。
「たくさん(不良品が)出たじゃ話にならんのだよ。私が1分見ている間に、あるいは2分見ている間に、どこそこの工程で何個出たと報告しないとダメなんだ」