在職中に資格を取得し、開業の準備
介護タクシーの営業に必要な普通自動車二種免許は、会社に在職中、週末を利用して取得し、ついでに大型二種免許も取った。早期退職したのとほぼ同時に次男が大学を卒業し就職、2人の息子はともに親の手を離れた。その後にホームヘルパー2級(訪問介護員)と、福祉住環境コーディネーター2級の資格も取得。そして2年後、58歳で再スタートを迎えた。
初めはポツリポツリだった送迎依頼が、半年後には日に数件に増えた。月収は10万円ほど。「儲けようと始めたわけではない。小遣い稼ぎ程度で十分」と当初は考えていた。
やがて人工透析の医院と契約して患者の送迎サービスを始め、さらにそれらの医院へ運転手を派遣する業務も手掛けた。起業して7年目には事業を法人化して、車両も運転手も増やした。
「多いときで4台の車両を、運転手12~13人で回していました。競合相手が少ないころでしたから、儲かりましたね。2年続けて、年間の消費税額が1000万円を超えました」
だが、好事魔多し。契約先の医院から受託料を大幅に値切られたうえ、派遣していた運転手を引き抜かれてしまった。これではとても採算がとれないと事業を縮小。車両は3台に、運転手は自身を含めて3人に絞った。その体制のまま、介護タクシーを今も続けている。
会社でのキャリアにこだわらない
事業の拡張には失敗した。そのときの借金は、今も残っている。介護タクシーは制約が多く、一般のタクシーのように街を流して客を拾うことができず、病院前や駅前に車両を待機させることもできない。
「基本的にはお客様の予約が頼み。『待ちの商売』です。同業者が増えた今では、儲かる商売ではないし、楽な仕事でもない。家内には『死ぬまで働け』って言われてる」
そう苦笑する荒木氏はしかし、定年を前に会社を辞めて起業したことをまったく悔いてはいない。むしろ、得たもののほうが多かったという。
「在職中に、ボランティア活動に関わったことが大きかったですね。SLAのメンバーには退職者が多かったのですが、さまざまな職種を経験してきた方々がいました。それまで私は、社内や同業の人しか知りませんでしたから、それがとても新鮮で、たくさんいい刺激を受けました」
介護タクシーとの出会いも、その場がもたらしたものであるし、多様な業種の人と交流することが、起業する意欲にもつながった。