「プロサッカー選手」の夢ははかなく消えた

望みは、はかなくも消えました。

トライアウト後、何日経っても、Jリーグのどのクラブからも連絡はありませんでした。どこのクラブも私を戦力とは見ていない―─。その事実をあらためて、トライアウトという場で宣告されたのです。

いまにして思えば、そのタイミングで私を戦力外にしたガンバ大阪の判断が正しかったと認めるべきだったのかもしれません。しかし私は、トライアウトの結果すら、客観的に受け止められてはいませんでした。ガンバ大阪のみならず、Jリーグのどのクラブからも求められていないということを認めるチャンスを得たことに、そのときの私は気がついていなかったのです。

夢だったプロサッカー選手でいつづけたい。

あまりに強すぎるその願望が、客観的に自分を見極める視点を私から奪っていました。実力を直視するよりも、プライドを優先させたいという感情が、私自身を冷静に見極めた人たちの判断を受け入れることを、拒絶していたのです。

その後、私は社会人チームで1年間プレーし、そして、サッカー選手であることを辞めました。

Jリーグに戻りたいという感情を、いったん、脇に置いて考えるタイミングが訪れていたのです。

「サッカー漬け」の12年間を捨ててしまうことになる

もし戻れるとして、その場合はどんなプロセスを経ることになるのか、私はありとあらゆるシミュレーションを行いました。ここでどういう活躍をすれば、どのクラブから声がかけられ、いかなるプレーヤーとして起用されることになるのか、そのすべてをできるだけ細かく想像しようと試みました。

まったくイメージが湧かない。それが結論でした。

自分にはもう、Jリーグでプレーする可能性はほとんどない。可能性はゼロではないけれど、あってもせいぜい5%。それが、冷静に自分を見極めたうえで出した結論だったのです。

ここで再びJリーガーになることをあきらめるということは、周囲に与えてもらった運や縁、そして12年間におよぶ「サッカーづけ」の自分の過去を捨ててしまうことになるのでは、との思いも頭をよぎりました。そこで失ってしまうもの、そして新たに得られるものは何か、ということについて、何度も何度も考えました。