「別れてください。子供と2人で生きていきます」

現在、育児中のA子さんの夫は7歳年上で、いわゆる「やり手」の経営者。知り合ってまもなくA子さんの妊娠が判明した。A子さんは、モデルの仕事に限界を感じていたこともあり、結婚と同時にキャリアを捨てて専業主婦に。一緒に暮らしはじめると、すぐに夫のモラハラがはじまったという。

「経験豊富で仕事もでき、自信たっぷりのオラオラ系の性格に惹かれて結婚しましたが、私への束縛やさげすみ方がとにかく激しくて。女友達と食事に出かけるのはもちろん、ひとりで買い物に行くのもダメ。『そのために高い金を払って、ハウスキーパーを雇っているんだ』と」

夫の口グセは、「オレのおかげで楽な生活ができてラッキーだろう?」「毎日綺麗にして、ちゃんと家にいてほしい」。はじめのうちは素直に従っていたA子さんも、「オレの稼ぎがなければオマエなんて何もできないだろう?」「オマエの価値は若くて美しいことだけだな」などと、日に日にエスカレートしていくモラハラ発言に耐え切れないほど追い詰められていったのだった。

そんなA子さんが、「実家の父親が倒れたから看病に行ってくる」と言い残し、子供をつれて家をあけるようになったのは3年前。以降、たびたびAさんは実家に行くようになった。夫はいい顔をしなかったものの、「でもまあ、親のことなら仕方ないな」とA子さんの外出を容認せざるを得なかった。

3年後、A子さんは夫に離婚を申し出た。「これまでずっとあなたのモラハラに耐えてきましたが、もう限界。別れてください。仕事のめどもたったので、私は子供と2人で生きていきます」と。たびたび家をあけていたのは、実家に帰るためではなく、資格取得のための勉強をしていたというA子さん。みじめな思いを続けて夫に頼らなくても、子どもと生活していけるように自立するための経済的な基盤を整える準備をしていたのだ。

離婚を決意したきっかけは「中学受験」

B美さんがモラハラ夫との離婚を決意したのは、一人息子の中学受験がきっかけだった。「息子は勉強よりスポーツが得意だったこともあり、私は地元の公立中学に進学すれば十分だと思っていました。ところが、夫は自分が中学校から私立に通っていたこともあり、どうしても息子を私立に入れたかったんでしょうね」とB美さんは振り返った。B美さんの夫は、一流大学の付属中学に進学。そのままエスカレーター式に大学まで進み、卒業後は某有名商事会社へ就職した、いわゆるエリートだ。

実際に子供が受験勉強をはじめてみると、塾ではずっといちばん下のクラスで成績が伸びる気配は一向になし。夫が望む私立中学に合格するための偏差値にはほど遠い学力だとわかり、Bさんは内心「これで夫も私立への進学をあきらめてくれるかしら」と安心していたという。