そして、本をふつうに読ませたりはしないのが東大です。ほとんどの東大の教授は、東大生が「ふつうに」本を読むことを求めません。穴を埋めるように本を読むことを求めるのです。

「穴を埋めるように」――そんなことを言われてもピンと来ない方がほとんどだと思います。「本に穴なんて空いてないじゃないか」と。でも、実際は、穴の空いていない本なんてないのです。もちろん物理的に本には穴は空いていません。しかし、論理的には、絶対にどんな本も穴があります。

誰が読んでもなんの疑問も浮かばない、なんの反論の余地もない文章というのは存在しません。法律ですら解釈が分かれていますし、どんなにツッコミどころを排除しようと思っても、何かしら論理の「穴」が空いてしまうものです。

「穴」が思考のきっかけになる

また、著者があえて穴を用意することもあります。意図的に議論の余地や解釈の分かれるポイントを用意しておき、読者にも一緒になって考えてもらう、という文章も多く存在しているのです。

たとえば、「みなさんは、○○についてどう思いますか?」などと疑問が投げかけられる文章に出合ったことはあると思います。この本でもよく登場していますよね。こういう読者への問いかけは、本来は必要のない文言です。ここを削っても、おそらく多くの人はそのまま読み進められることでしょう。

それでもこういう文言が必要なのは、この文言が「穴」になるからです。読者が「そういえばなんでなんだろう?」と自分の頭で考えるきっかけになるようなツッコミのポイント。受動的に「そうなのか」とうなずくだけではなく、能動的に「うーん、こういうことかな?」と自分の意見や考えを持ってもらうきっかけになる言葉――こうした、読者をより文章に引き込むためのポイントが「穴」なのです。

東京大学出版会の『言語科学の世界へ―ことばの不思議を体験する45題』のように、「興味があれば、これを自分で調べてみましょう」と、わかりやすく読者が補完するべき「穴」を空けている本もあれば、抽象的なことを語って具体例は読者が補完する「穴」として、あえて書かないというパターンの本もあります。

このように、著者は自分の文章の中に疑問を投げかけたり、議論や解釈が分かれる、「穴」になる箇所をつくっているのです。